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バス停地名学のすすめ

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2009.04.22
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カテゴリ:千代田区
バス停データ
◆所在地:千代田区 ◆路線:都営バス[橋63]系統

みなさん、こんにちは。

新橋駅から市ヶ谷駅、高田馬場駅を経て小滝橋車庫までを結ぶ都営バス[橋63]系統は、都心を斜めに横断する路線で、官庁街の中心を走る唯一の路線でもあり、経済産業省前、国会議事堂前などのバス停があることを特色としています。

霞ヶ関の官庁街から永田町を抜けたバスは、麹町4丁目で甲州街道(新宿通り)を越え、日本テレビ通りを北上すると、間もなく番町バス停に到着です。

江戸城西側に位置するこの地には、江戸入りした家康が武蔵野台地に続く西方からの外敵に備えて守りを固めるべく、大番組に属する旗本を住まわせたことから、番町の名が生じたと伝えられます。但し、番町はこの地域の総称であり、厳密には一番町から六番町までの各町と、それぞれに表町、裏町、新道などがあり、それらが複雑に入り組んでいたといわれます。故に、江戸期には「番町にいて番町知らず」といった川柳まで詠まれるほどだったようです。明治期以降も各町の合併、編入等が繰り返し行われ、正確な変遷を辿るのは非常に困難になっています。したがって、現在の住居表示上の一番町から六番町も、江戸期のそれとは町域のズレが多く見られるようです。

江戸期の旗本屋敷は、明治に入ると華族や官吏の屋敷地に変わり、多くの文化人も邸宅を構えるようになり、時代の流れとともに番町は都心有数の高級住宅街として成熟していくようになります。その流れは現在にも受け継がれ、バスを降りてほんの少し裏通りへ足を踏み入れるだけで、静けさに包まれた瀟洒な街並みの続く様子を、目の当たりにできます。

(次回へつづく)

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最終更新日  2009.04.22 10:48:16
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