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バス停地名学のすすめ

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2009.08.16
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カテゴリ:台東区
(前回からのつづき)

ところで、上野駅にはもうひとつ、1系統でいえば終点の上野駅前のひとつ手前に、上野駅南口という電停がありました。場所は京成上野駅の入口前で、その手前の上野公園電停からも目と鼻の先という距離でした。銀座・品川方向の場合は現在の丸井(旧京成百貨店)の前あたりが乗り場だったので、これも上野駅前電停からほんの少し走って到着という距離になります。出入口の多い上野駅への利用の便を図ったものと思われますが、厳密には上野駅に「南口」という出入口は無く、近いのは広小路口、不忍口といったところとなります。

上野駅前の古い写真を見ていると、堂々とした駅舎と、その前に広がる駅前広場、そしてゆったりと幅の広いスペースを持っていた都電の電停が並び、他のターミナル駅の風景とは一線を画すような落ち着きを感じることができます。しかし、1系統の廃止後、首都高速道路1号線が昭和通り上を通過するようになると、電停はその高架下となり、いかにも都電時代の終焉を告げるかのような窮屈な景観に様変わりしました。

当時の写真を注意深く見ると、電停には地下鉄と直結する連絡階段が設けられていたことに気が付きます。地下鉄直結の電停というのは、他に例がなかったのではないでしょうか。調べると、昭和2年の上野~浅草間地下鉄開業当時からのものとのこと。現在、首都高速下の電停跡地は、バイク専用の駐輪場となっていますが、陸の孤島状態のこの場所には、地下鉄日比谷線の改札口近くから駐輪場への出入用に使われている階段があり、これがどうも都電時代の連絡階段を再利用したものではないかと思えてなりません。早速、東京メトロに問い合わせたところ、「お察しの通り」との回答が。こんなところで都電時代の遺構(?)に出会えるとは、思いがけずの大発見となりました。

*******************

ここまで、かつての1系統のルートを追いかけてきましたが、本ブログで過去にご紹介した以下のバス停も、旧都電1系統の電停名を継承しているバス停です。
関心のある方は是非ご参照下さい。

高輪北町
札ノ辻
新橋
通り3丁目

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最終更新日  2009.08.20 00:15:43
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