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バス停地名学のすすめ

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2010.02.15
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カテゴリ:新宿区
(前回からのつづき)

バス停の先の交差点を左へ入ると、すぐに神田川の一休橋です。一休の名の由来は定かではありませんが、近くに一休蕎麦と呼ばれた蕎麦屋があったとする説や、江戸時代は近くに一橋家の抱え屋敷があり、古くは「いっきょう橋」と通称したことに因むといった説があります。江戸期には関口橋とも呼ばれました。

橋は神田川左岸の江戸川公園へ入る人道橋で、南側は護岸から歩道が少し下がっているために階段が設けられ、歩道橋のような具合になっています。その階段下に「昭和一三年 東京市」と刻まれた「一休橋の由来」の碑があり、蕎麦屋説による由来が刻まれています。

一休橋から江戸川公園を上流方向に少し歩いたところに、大洗堰の由来を記した記念碑があります。大正2年から始められた護岸改修工事により、大洗堰は史跡として保存されましたが、昭和12年の改修工事により取壊され、翌年に堰の部材を利用した由来碑が東京市により設置されました。しかしこの由来碑も後に失われ、後年その碑文のみが見つかり、再度設置されることとなりました。現在見られるのはこの碑文を嵌め込んだ記念碑です。その後ろ側には、神田上水取水口の石柱が保存されています。角落(かくおとし)と呼ばれた水をせき止める板をはめるための石柱で、公園内に作られた親水池の隅にひっそりと置かれています。

江戸川公園は奥へと進むにつれ、目白台の急斜面を利用した立体的な広がりを見せるようになります。護岸に沿っては、桜並木が続くようになりますが、このあたりが毎年春に行われる桜祭りの中心的な位置でもあります。

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最終更新日  2010.02.15 23:20:46
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