カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は不忍通りブックストリートの一箱古本市へ。吾輩も「夕やけだんだん」猫背堂として参加。
昨日から徹夜で仕上げた点字テープ付しおり(しおりからはがして他に貼ることも出来るようにしておいた)を挟み込んで、朝の夕やけだんだんを昇って一度コンビニでコピーを済ませて、再び夕やけだんだんにて、「留守番、頼むね。」と六甲猫(吾が愛する阪神のユニフォームを着ている猫)に話しかけてから「ほうろう」へ。 吾輩の用意した本はわずか18冊。そのうちの一冊に、『僕が自閉語を話すわけ』があり、これは庄司薫の『ぼくが猫語を話せるわけ』から来ているわけだが、六甲猫に話しかけるように、この本の著者は自閉症児に寄り添い、時に「まぐろ」のようになりながらゆっくりと時に身をゆだねられる方で、吾輩もその様子を見学して一度でファンになった一人である。 「ほうろう」では吾輩は先陣を切って店番になった。 客ではなく売る側に立つと「見え」が変わる。佐々木正人氏の身体論や、ジーン レイヴらの『状況に埋め込まれた学習』などが即刻頭に浮かぶ。つづいて、ほうろうの立地(道灌山下T字交差点そば)からか、ワセダの稲毛屋が思い浮かぶ。あの小泉チルドレンとなった店長安井潤一郎氏(東京タワーで吾輩が点字物語をやった時にある賞を受賞した際、十数年ぶりに同じ賞を商店街活性化で受賞されていた安井氏にお会いした)のお店であるが、吾輩は学生の頃、ここの店頭で八百屋さんのバイトをしていた。そこは信号機のある交差点に近く、吾輩はそれをいいことに、「はい、いらっしゃい、いらっしゃい! ほら、そこの奥さん。緑のピーマン、赤のトマト、黄色のレモンを持っていきなよ、ほらほら、信号変わっちゃうよ、早く早く!」と、まるでだまし討ち!のようにしてドサクサに野菜や果物を売りまくっていた。その気持ちが何故か蘇って、いらっしゃいを連発して、すぐさま、周りを見回し、そうだ、ここは古本売り場なんだということで、即刻大人しくした。(ほうろう出店の中にはゆきのうえさんのように、静けさにたゆとう品格を楽しむ出品があったのに、まったく失格である。ちなみにゆきのうえさんのHPを後から見て驚いた。私が尊敬して止まない寿岳文章さんの本の装丁が写真掲載されていたからだ。本を大事にする気持ちが伝わってくる。寿岳さんはダンテ神曲研究者としても知られているが、彼こそ、ヘレンケラーが来日の際、通訳を務めたその人である。吾輩はその際のヘレンケラーの生声の貴重なテープをある方から頂いたことがある。昨年惜しくも亡くなられた娘さんの寿岳章子さんは京の町並みを愛し、ろう者の支援でも知られた方で、また反骨の人だ。) ワセダといえば、吾輩はその頃にナンダロウさんにお会いしていて、本に何かを挟むアイデアもそれで思いつき昨日の徹夜作業になってしまったのだが、徹夜と言えば高田馬場の喫茶しらゆりでそのメンバーとの深夜の雑談も本当に楽しかった。そこはコレクターのようなマニアックな話も多く、吾輩は門外漢でいつも異邦人であったが、その異邦人である吾輩が、吾輩でありつづけながら(日和ることなく!)、何であんな人が来ているの?という視線もなんのそので、居続け、しかも、関係ないように見える吾輩の分野であった福祉へとリンクさせるというトレーニングの場として、そこ、はあり続けてくれた。 異邦人である視線を浴びるということの源には吾輩の学生時代の友人、ろう者、デフパペットシアターの元俳優である大杉豊君に教えられたことがあった。 まだ世の中の障害者への偏見がふきまく時代にあって、ろう者である彼は吾輩を手話通訳として引っ張りまわし、ワセダの地下のそれこそ日の丸が立っているような所だろうが、お構いなしに扉を開けて話を交わしにいく痛快人物で、その後、ろう者の時代を先導し続け、生き急ぐ高杉晋作タイプの獅子奮迅の活躍をしてみせてくれたことはちょっとでもろう者界に関わったものなら誰もが認めるところである。 ちなみに彼が書いた『聾に生きる~海を渡ったろう者 山地彪の生活史』という聞き書き構成は吾輩の蔵書の中でも最早特別のものになっている。彼の絶妙な編集と、山地氏の黄色人、ろう者という二重差別の中でのろう者の生きる智恵を見事に浮き上がらせている。何よりも、山地氏と彼の二人の関係を抑制しつつ、その上でなお二人の関係がにじみ出ていて、なんともうらやましいというかこういうコラボレーションを読む者の幸運というか、そういう本なのである。 吾輩はいま地域雑誌谷根千のYさんたちに感じるのもそんなところが、ある。地域との関係にある種の抑制を持ちつつ、その上で地域との関係がにじみ出る、これが極上の本に仕上がる秘訣なのかもしれない。 その大杉君とも交流のあったY君はしばらく「気泡亭通信」なるたった二人のペーパー通信を長年にわたって出し続けたじつに滋味のある人物で、その後に丸山氏の住民図書館の専従として数年間を過ごしたのだが、その彼がばったりと今日の一箱古本市に来てくれたのは嬉しかった。 去年もどこかで会ったねえ?というと、一箱古本市ですよ、と言われた。もう1年が経ってしまったのだな、と漱石の百年(夢十夜)っぽい言葉を自分に吐く。 そのY君は当然のことのように、ナンダロウさんとも面識があり、また、午後から「ほうろう」で、専従に来てくださった女性(お名前も屋号も失念。Y君と昨年一箱で会ったことも忘れるくらいだからご勘弁を)とも懇意であった。 ろう者といえば、初対面であったもののバンバンバザールという雑貨屋さんが文京区で手話をやられていて意気投合。谷中での手話サークル「谷根千名物を手話で表す会(仮称:谷根千の手)」の創立に向け、弾みがつきそうだ。 本駒込にあるスタジオIL文京関係者が開店早々に来てくださったのは嬉しかった。谷根千たてもの応援団や蔵でのイベントなど谷根千とのつきあいも長く、車イス生活当事者の自立生活を本人とその協力者とで支えている。吾輩も、そこで小濱洋央さんらにお会いして長いおつきあいをさせてもらっている。小濱さんは物理学者でひじょうに吾輩が触発を受けた一人である、そういう意味では『吾輩はだんだん猫になる』における寒月ともいえそうだ。人と人の関係にこれほどの配慮やケアを持ち込める人も珍しい。書き手としても、かみそりのような鋭さと、本人がメディア(媒介)になったとでも言えるような可笑しさを兼ね備えていて、彼の著書『車いすでカリフォルニア』はこれまた宝物である。彼の危機管理能力(この国の過剰な危機管理と似て非なるものだが)と、原子物理学においてクウォークの名付け親のゲルマン教授の駐車場でのミーハーぶりという幅の広さもこの本の魅力になっている。小濱さんの研究の(思考実験の)一端も垣間見た者として、ぜひ一度執筆の仕事でご一緒してみたいと思う(よろしくお願いします!)。谷根千工房にも遊びに来られたと谷根千のYさんからも聞いたことがある。 ほうろうに出店された、へのさん堂さんは本職のほうで点字のカレンダーなどの企画などにも関係されていて、吾輩のところで販売した『よ~いどん!』(赤塚不二夫)という絵が浮き上がっている触る本のこともよく知ってられて、こんな近くにこんな人がいたなんてと嬉しくなってしまった。 点字というと、江戸川乱歩のデビュー作『ニ銭銅貨』の重要な道具立てになっていたので、当初は乱歩さんの店先で販売というのがあっても面白そうだと思ったのだが、へのさん堂さんとの出会いは偶然とはいえ、ほうろうに配してくださった実行委員会の方に感謝感謝であった。(乱歩さんのところに出展のQ林堂さんの野鳥ペーパークラフトは感動ものであった。野鳥の鳴き声に関しては視覚障害のT君などかなりの蓄積があるのだが、彼が来ていたら絶対欣喜雀躍していただろうなあああ。吾輩と別の意味で異色の出品だがこういうところが出ているというのも一箱古本市の懐の深さかと改めて感心。大失敗はQ林堂さんの発見が遅れこのクラフトを買い損ねてしまいました、仕舞ったなあ) 音については谷中に引っ越してこられたというradioflyのNさん。よく谷中カフェに朗読を習いに来てられるそうで、以前、東京タワーの点字物語の時にお世話になった放送作家川崎隆章さんのご紹介でお会いしたのであるが、音の研究は障害者のバリアフリー研究としても貴重なもので、その上、お笑い系の人とも交友があるというのは何とも羨ましい。 音といえば、吾輩の品だしの中に伝説の雑誌『銀星倶楽部11 テクノポップ』があったが、これは閉店すれすれで若い方が買っていかれた。当時はテクノといってもローテクであったが、今でも鳥肌が立つ。(というと、先のT君などはテクノは邪道ですよ。やはり高田渡じゃないとね、などと若いのに年齢不詳なことをいう。谷中の居酒屋町人の似合いそうなT君だ)。 閉店後の出店関係者だけのバザーで、ナンダロウさんのところからトーキングヘッズのCDを買ったのもお解かりいただけるかな。。。(谷中、三崎坂のアフリカ市場、タムタムもT君のお気に入り。トーキングヘッズはそのアフリカとテクノの融合だよ、T君、参ったか(笑)) スーザンソンタグの『隠喩としての病』も出品した。現代思想とも言える本だが、なぜか吾輩の箱からクウォンタム・ジャンプしてへのさん堂さんの箱にあるのを発見、吾輩は店番で忙しく、本を移し変えようと思っている間に売れていった。たぶん、吾輩の箱であったら売れ残ったかもしれぬ。次回は他の箱に相乗りというか寄生させてもらうのもいいかなと思った。ほうろう前では、寄生虫館物語を売っていた方、お名前失念、もいて思わず買ってしまった。 あと、これまたどこの箱か忘れてしまったのであるが、天野祐吉の『広告論講義』も迷うことなく購入。天野さんは、このたび5月末に『のぞく』という本(福音館書店)で写真家後藤田三朗さんがコラボレーションされて(絵は大社玲子さん)いたからだ。 吾輩もこの本は売り込み段階から後藤田さんに連れていってもらって多少は関わらせていただいたので、思い入れは深い。編集者のこだわりがものすごく造本に反映されていて、ぜひ、みなさんにも読んでもらいたい本である!(つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月06日 09時57分40秒
|