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戦国ジジイ・りりのブログ

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2011年11月03日
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※「武将都市ナゴヤ(3)」からの続きです。


実はこの清州城、
前回京都へ向かう新幹線から「名古屋城見えるかな~」と
車窓を食い入るように見ていた目に突然飛び込んできて、
最初は冗談みたいな外観に(失礼!)

「何アレ!?」

と笑ってしまった、思い出あるものなのだ。


その後、名古屋行きが決まって色々見てたときに清州城だったと判明。
まさか、新幹線のあんな近くに城があるなんて。
その城にとうとう来ましたよ。

             
        清洲城4


門を入ると右手には、
信長様が桶狭間の勝利のお礼に熱田神宮に奉納したという
信長塀のレプリカがある。


       模擬信長塀2


そして「清州城と歴代城主」の解説。
歴代城主は、

  1、織田信長
  2、織田信忠
  3、織田信雄
  4、豊臣秀次
  5、福島正則
  6、松平忠吉
  7、徳川義直


へえ~、秀次は知らなかったなあ。


清州城は1405年、斯波義重の築城に始まる。
もとは下津城(尾張守護所)の別郭として建てられたものだったが、
守護代・織田家の内紛で下津城は焼失、
1478年に守護所が清州に移転したため、ここ清州が尾張の中心地となるに至る。
以後は守護代織田家の本城としての機能を果たす。



では中へ。

1階はプロローグゾーン。古代からの清州の歴史がまとめてある。
へえ、朝日遺跡ねえ。
ここはさらっと。

2階が戦国の都・清州ゾーン。
ここには清州城域の模型があり、
清州城の流れを解説してくれる「ジオラマシアター 清須城物語」がある。

脇に椅子があったので(←重要)、まず座ってスクリーンでお勉強。

大型スクリーンのまわりには、清須城を中心とした
尾張の支城間ネットワークや清須城の機能、
他に歴代清須城主についての解説があり、なかなかためになる。


清州城は管領斯波氏によって築城。
家督を相続した信長様が守護代・織田信友を殺害して
主筋にあたる織田大和守家を滅ぼした後、清州に移り本拠に定める。

信長様はここに約10年居城し、桶狭間にもここから出陣している。

清州同盟・清州会議が行われたのもここ。
清州会議の後、信長様の二男・信雄が相続し
2重の堀の普請・大天守・小天守・書院などの造営が行われ、
巨大な郭域の中に城下町のあらゆる機能を備えた城塞都市として
過去最大の規模に達する。

ところが小田原攻めの際に信雄は秀吉に逆らい除封され、秀次の所領となった。
秀次切腹の後は福島正則の居城となり、関ヶ原の後方拠点となる。

戦後、市松(福島正則)は安芸に転封となり、
代わってタヌキ・・・いえ、家康公の4男・松平忠吉が入るが
関ヶ原での負傷が元で忠吉は病死、
今度は9男・徳川義直が入城し、清州藩の本拠となった。


清州は京や鎌倉に連絡する往還と伊勢街道が合流する交通の要衝でもあり、
この頃の清州城下は人口6万を数える賑わいを見せ、
朝鮮通信使の記録にも「関東の巨鎮」と称され、
清州城は「天下の名城」と称えられる。

慶長14年(1609)清州越が行われ、
名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより、
慶長18年(1613)廃城となる。


尾張のみならず、関東の巨鎮ねえ・・・
諸行無常だな。


それから確かこのフロアには、
桶狭間出陣の際の信長様が短いドラマ仕立てになってるビデオがあったけど、
チョ~カッコ良かった音符

他に清須城下をバーチャルに体験できる道や
戦国武士の暮らしを再現したものがあった。


3階は覇者たちのルーツ・清州ゾーン。

清州会議の小ドラマのビデオ上映や、
歴代大河ドラマの中演じられた信長様の紹介と、
その際に使用されたお召物が展示されていた。

清州会議も、私には解せないことが多い。
なんで丹羽様は秀吉についたんだろう?
諸説あるけど、どうも納得がいかない・・・。



ここで気に入ったのが、
「火縄銃体験シアター 戦術革命/長篠・設楽原の戦い」。

火縄銃のしくみをビデオで結構詳しく解説していて、
なかなか理解できずに何度も何度も見てしまったけど、大変興味深かった。

そして火縄銃を実際にさわれるコーナーも。
ここに置いてあったのはかなり銃身の短いものだったけど、
それでもずっしりと重くて、
初めての体験だったので面白かった。


4階は天下一吉例ゾーン。
デカい金シャチと鐘かなんかが置いてあったなあ。

今日は風が強いので、展望台には出られないかと思ったが、
出られるらしい。
ので、出る。

信長様の時代には天守はなかったし、そもそも本丸の位置が違うけど、
気分を味わいたかった。

なにかの写真で、清州から名古屋城が見えると知ったので目を凝らすが、
現在は障害物が多いし、さすがに肉眼ではわからなかった。


ぐるっと回って、最後に北面から市松はどんな思いで
岐阜・関ヶ原方面を見たのだろう・・・と気分に浸りたかったのに、
北面に回った途端ものすごい風にあおられて、即退散。
飛ばされちゃかなわん。



さてこれで天守内は全部見た。

多少地味だけど、展示も工夫されていて楽しく見ることができた。
以前はオリジナルこそ価値があり、
模擬天守なんて意味がないとかって思ってたけど、
色々見てるとこーゆーのも悪くないよなって最近思えてきた。

ちなみにここのお庭には水琴窟がある。



天守を出て正面の朱塗りの大手橋を渡ると
「ふるさとのやかた」なるものが。

楽しませてもらったお礼に、なにか土産物でも買って経済貢献を・・・
と思ったが、品ぞろえも少々地味(笑)。

来るときに見た「信長最中」もあったけど、
向こうのお店は和菓子屋さんみたいだったし、
お店で買う方が良さそうだな・・・と思ってそのまま出る。


出たところは清州古城跡公園のようで、
早速清州古城跡の碑があった。

石碑の奥へ進むとなにやら祠が。
あ・・・信長様を祀るお社だ。


       信長様祠


その左手には「右大臣織田信長公古城跡」の碑が。

       信長様祠2 
                  

毎年6月2日の命日には、この社前で「織田信長公顕彰祭」が行われているそうな。
ううん・・・6月2日の命日には確か京都でもイベントがあるんだけど、
今年は水曜日なんだよねえ・・・。

ともかく、ここ清州まで来られたことに感謝して手を合わせる。


※「武将都市ナゴヤ(4)」へと続きます。


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最終更新日  2012年07月13日 22時53分15秒
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