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2013年01月06日
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カテゴリ:城(中国)
鏡山城広島県東広島市西条町鏡山2丁目
(住所をクリックするとMapfanにリンクします)


※「東西条バトル編(4)」の続きです。


 【国史跡 鏡山城(かがみやまじょう)跡

  南北朝から戦国期にかけて、この地域は「安芸国東西条(とうさいじょう)」と
  呼ばれ、山口の守護大名大内氏の所領でした。大内氏は、九州博多を有して
  海外貿易に力を入れていました。

  鏡山城は、大内氏が安芸国支配の拠点とし、あわせて瀬戸内海中央部を押さえる
  目的で築いたものです。大内氏は、鏡山城に「東西条代官」を置き重臣を任命して
  いました。安芸国は、大内氏と海外貿易をめぐって対立する細川氏との接点と
  なっていたため、鏡山城をめぐって攻防が繰り返され、特に応仁の乱では、
  主要な舞台の一つとして激しい戦いが行われました。

  戦国時代に入ると、出雲尼子氏が勢力を伸ばし、大永3年(1523年)、
  鏡山城を攻め落とします。同5年(1525年)、大内氏は鏡山城を奪い返しますが、
  その拠点は盆地西方の杣(そま)城、槌山(つちやま)城に移され、
  鏡山城はその役割を終えました。

  城跡は、標高335mの山頂に位置する御殿場と呼ばれる郭を中心に
  約300m四方に広がる大規模なもので、ダバ(段場力)とよばれる郭や堀切、
  畝状竪穴群、石塁などからなり、中でも井戸跡は5ヶ所もあり多くの人が
  城内にいたことをうかがわせます。

  平成10年1月14日、室町時代を代表する地域の拠点的な城跡として
  国史跡に指定されました。】
  (現地解説板より)


はいっ、もうおわかりですね。
そうなんです、安芸ですが、ここは大内領だったんです。

山口で過ごす年末年始を諦めた私が安芸デビューに選んだのは、
安芸における大内領でした。うふふ音符

それもただの領地じゃありません。
安芸支配の拠点とした地なんです。
私らしい選択でしょうっしっし

上の鏡山城の解説は十分に長くてしっかりしたものですが、
大内ファンの私としては非常に物足りない。
ので、まずは歴史の話から入ります。




大内氏と安芸との関わりは古い。
大内氏をちょっと知ってる人なら、

「安芸守護も兼ねてたんだから、そりゃ領地でしょ?」

ぐらいの想像はつくかもしれないけど、もっともっと古い。
話は、ひろよん(大内弘世)までさかのぼる。


ひろよんは「山口編」で結構名前を出してますので、
覚えていただいた方もおられるかもしれませんが、
公開済の「山口編」は初回の山口訪問という事もあり、
歴代当主をほとんど登場させたものの、
個々についてはごく簡単な紹介にとどめました。

また、本拠地である「山口編」では大内文化を中心とする
文化面を主に紹介しましたが、ここは本国ではありませんので、
「山口編」よりは政治的・軍事的な面での紹介になると思います。

で、ひろよんについては 「山口編(6)」でこれまた大ざっぱに
書きましたが、今回はもう少し詳しく。



元々、在地の地方公務員であった大内家に生まれたひろよんは、
南朝方として同族の大内長弘を下して周防守護のステータスをゲットした。

北朝方の元周防守護・大内長弘は、鷲頭(わしず)長弘として
紹介されることのが多いかも。

この人は、ひろよんから見れば大叔父さんにあたる人で、
宗家を差し置いて周防守護の地位にあり、幅をきかせていた。
一説には守護ではなく、守護代だったともいうけど。

そういう家庭の事情に南北朝の混乱が加わって、
他家と同じく大内一族の間でも南朝・北朝に分かれて争いが起こり、
最終的にひろよんとそのパパ(弘幸)の宗家組が覇権を奪い返した。

そして南朝から周防守護を授かったのが、観応2年(1351)。

続いて北朝方の長門守護・厚東(ことう)義武を攻めて、
延文3年(1358)南朝より長門守護を授かる。
ここまでは、南朝としての活動。


正平18年(1363)、足利2代将軍・義詮からスカウトを受ける。
ここでひろよんは、既得権の安堵・・・すなわち、現在有している防長2国の守護を
引き続き北朝にも認めてもらうことを条件に、北朝に帰順した。

あざやかなる転身を果たしたように見えるけど、
ひろよん始め大内家の心中は果たしてどんなものだったのか・・・
その辺は、「築山館(4)」にも少し書いてますので、
忘れた方は見てね。



さて、ひろよんの快進撃はまだ続きます。

貞治5年(1366年)6月~9月の間に出家。
7月には石見へ出陣しているので、6月末頃の剃髪だろうと
「大内氏實録」は述べる。

出家したからって大内家当主としての頑張りに何ら変化はなく、

 7/13 青龍寺城
 7/16 有福城
 7/22 大石城(落城は26日)
 7/25 久佐金木城

とガンガン行っちゃって、石見平定。


実はその2年前、初めて上洛して足利義詮に謁見。
『多く金帛を将軍の左右に賄賂』して石見守護の地位をゲットしていた。
ま、金品をばらまいたのは、「山口編(6)」に書いた通り
お偉い方々へだけじゃありませんけどね。


幕府から守護に任じられたからといって、丸腰で任地へ行って

「お上からのお達しで、今日からボクが
君たちの上司だからよろしくね音符


と宣言したところで

「あ~、そうですかあ~。
遠いところをようこそ!
ぜひぜひ、仲良くしてくださいね~緑ハート


なんてタマが当時おるハズがない。

上からの大義名分と、身体を張っての実力(武力)行使。
この2つが揃って初めて自分の領国といえるものができるのだ。


そして、ひろよんも名実ともに石見の国主となった。
頭を丸めたのは、平定祈願のためだったんじゃないかとか思っちゃうんだけど泣き笑い



石見平定においては、石見の国人・益田越中守兼見の協力を得られた事が
大きなポイントだったようだけど、この益田さんちの兵などを自軍にプラスして、
ひろよんは今度は安芸へと攻め込んだ。

この辺りをもって、大内氏による安芸の直接支配が始まったといわれる。
もちろん、始めから一気に全域支配に至った訳じゃないけどね。




「守護に任じられた」とつるりと言うけど、中世には「平成○○年度 守護補任表」
といったようなものは残されていない。

辞令をもらった側で大事に保管していた場合はいいんだけど、
そうでない場合には、実際の行動やら残された書簡・文書から誰がどの程度の権限を
有していたかというものを推測し、「こういう活動をしているから、
この時期この武将は守護職にあったのであろう」と同定をしていくんだそうな。


で、この頃の記録を見てみると、貞治年間(1362-1367)は
諸豪族に所領を安堵した書状などが残されていることから、
武田氏信が守護的地位にあったものと思われる。

応安年間(1368-1374)の始め頃には武田氏はなりをひそめ、
応安4年(1371)今川了俊が安芸の歴史に守護として登場する。


大宰府を占拠するなど南朝の勢力が強くなっていた九州の鎮圧のため、
応安3年(1370)に九州探題に任命された今川了俊(貞世)は、
任地へ下向する準備が整った頃、安芸守護を兼任することになった。

ただ、九州探題の在任中は安芸だけでなく備後・筑前・筑後・豊前・
肥前・肥後・日向・大隅・薩摩の守護も兼ねたっていうんだからすごい。

もちろんそれは、自らの領国の国人衆を動員・指揮する権限を与えられたことを
意味する。
了俊の探題就任の最大の使命は、南朝の討伐にあった訳だからね。


で、応安に入ってすぐの時期から了俊の守護的活動が文書等で確認できるまでの
数年間、ひろよんが守護ちっくな活動をしているのが散見されるのだ。

ひとつは、厳島神主家と内藤氏の仲裁。
今ひとつが、東寺造営料所であった安芸国衙(こくが)領を国人衆が
押領していたことに関しての、問題解決への尽力。



じゃあ、了俊が来てからは、すごすごと安芸から手を引いたのか?
いえいえ、そうじゃないんです。

応安4年以降、正式な安芸守護は確かに了俊でしたが、
その了俊のもとでひろよんが守護に準じた行動を取っていることを
窺わせる文書があるんです。

ま、言ってみれば守護代みたいなカンジ?

つまり、権力者がきれいに交代したというよりは、
武田氏信~今川了俊の間にひろよんがぽちっと築いた安芸での地盤を、
了俊政権下でも大内氏がそのまま保持していたって事らしいんだな。


ただ、個人的には了俊とひろよんってあまりソリが合わなかったんじゃないかな~と
思うんだけど、そこをカバーしたのがきっと嫡男・義弘なんでしょう。


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最終更新日  2013年01月08日 22時47分32秒
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