カテゴリ:城(中国)
新高山城<広島県三原市本郷町本郷>
(住所をクリックするとMapfanにリンクします) ※「東西条バトル編(12)」の続きです。 え~と・・・文字数の関係で、思いっきり中途半端な書き出しになってしまって 申し訳ないッス。 本郷駅からここまでのアプローチについては、 「東西条バトル編(12)」をご参照ください。 沼田(ぬた)川を西に渡ったら、今度は川に沿ってそのまま北上。 川沿いに歩き始めると、すぐにこの石碑がある。 ![]() 弥生の遺跡道ってのはよくわからないけど、 たぶんこのあたりに古い遺跡が点在している事を指すんだと思う。 それについては、別のところで簡単に書くつもりです。 本郷橋から見る両高山↓。 ![]() 今は、左の新高山(雄高山)を目指してます。 右の古高山(妻高山)は、このあたりから見るとこんな↓。 ![]() 写真だとイマイチですが、こちらの山も岩が露出していて、 なかなかの迫力です。 新高山とまとめて一度に登れちゃえばいいんですが、 今日はしっかり新高山城を見て思いっきり浸りたいので、 無理はしません。 私が通常使う地図サイトのMapfanは、山地に近いところは あまり詳細な地図は表示してくれない。 が、沼田川の西側はただまっすぐ歩いてくだけなので、 迷うこともない。 途中で第一のお宮が出た。 ![]() ホントは安全祈願のために参拝していきたいところだけど、 道から奥へ入っていかなければならないのは時間の都合上、困る。 すでにここまで写真を撮りながらちんたら歩いてたせいで 予定より若干遅れ気味だし ![]() てことで、ここも後回し。 この辺にあったふたは・・・ ![]() ・・・やっさだ(笑)。 前にこのふたを見たのは、マジクソ暑い中で・・・ ああ、あれからもうだいぶ経ったような気がする・・・ (※たった4ヶ月前です) さらに歩くと、小さなお地蔵様のほこらが。 ![]() 何の87番とは書いてないけど、たぶんこれ、 「三原新四国」のだよな。 そうか、たこつぼの所から始まった三原新四国88ヵ所は、 本郷でエンディングを迎えるのか。 この付近にもいくつかお寺があるから、 そのうちのどれかが栄えある大トリの栄誉に預かっているに違いない。 ところで私、いくつ三原新四国を回ったんだろ? 今度数えてみようっと ![]() ここは通り沿いにあるから、今日の安全と良い山旅を祈念して 手を合わせていった。 このあたりも岩盤が露出してる。 ![]() この付近の沼田川流域も、おそらくおおむね沼田川の侵食作用によるものだろうから、 岩盤質じゃなかったらもっと削り取られて川幅が広くなってたのかもしれないな。 ここから少し上流の流域には、川が氾濫を繰り返してできた地形が 残っているし。 道沿いの左側は民家だけど、右側は工場などがいくつか並ぶ。 元日でさすがにどこもし~んとしているので、 歩きながらじろじろと見られる範囲で覗いてたら、 とある工場内にこんな標語があった。 ![]() 【ベテランが次代にたくす宝物 技と誇りと安全第一】 いいなあ~、コレ!秀逸!! 技と誇りと安全をいっしょくたにするところがイイ! あれこれごちゃまぜになってる、おもちゃ箱みたい ![]() 楽しいなあ、本郷 ![]() て正月気分も手伝って、浮かれながら歩く。 けど、この道は細い割になにげに交通量もあるので、 あまり浮かれて歩いてると危ないです(標語で浮かれるのは私だけか)。 その先には、第二のお宮が。 ![]() うぬう・・・ ここは明らかに鳥居から本殿までは遠いな。 ここも後にしよう。 けど、ここには私が下山してから行く予定のお寺への案内があったので、 しっかりチェックだけした。 ちなみに、この鳥居を撮った所からそのまま後ろへ向くと、 こんな道が続いてた。 ![]() これ、参道だ・・・ でもこの道をそのまま行っても、沼田川に突きあたるだけのハズなんだけど。 (今いるのはここ。地図の中心点が撮影場所) 今回は寺社めぐりは二の次なので調べてないけど、この神社、 一体いつからあったものなんだろう? もし小早川氏がこの地に君臨してた頃からあったものなら、 長くは川向こうの方が領国の中心地として栄えた場所なんだから、 川を渡って参拝しに来たとかね。 いやまてよ、隆景ちゃんが三原に本拠を移した際に、 ほとんどの寺社が一緒に引っ越ししてるハズだから、その後の創建かもな。 後で寄った時に、由緒を見てみよう。 あれこれ考えながら歩き続けると、だんだん目的地が近くなってくる。 ![]() うっわ~、ナニアレ・・・ あれに登るの?私が? どうやって?? もちろん、コースガイドは持ってきて登山道は把握してるけどね、 なんかあの山容を見てるだけでもうお腹いっぱいってゆーか・・・(←軟弱者) 対する川向こうの古高山はこんな感じ↓。 ![]() ふむ、こうして見比べてみると、「雄高山」と「妻高山」って呼ばれた理由も 分かるな。 ただし、それは全体の山容の話。 実際に登るとなったら、どちらも上部は岩盤が露出してて急峻な感じだし、 見るだけにとどめたくもなってくる・・・ ![]() ・・・いやっ、登りますよ。 楽しみにしてたんだし。 してたんだけど・・・ ![]() ナニアレ・・・ ![]() ナニアレェェェ~っ!! 登る前から早くもげんなりしかけた頃、入口を示す標識が出た。 ![]() 地図でいうとたぶんここ。 ちゃんと通り沿いにあるので、よほどボンヤリ歩かない限りは わかると思います。 ここを左に、細道をずっと奥まで入っていく。 ![]() 途中にあるのが、荒神社。 ![]() 鳥居の外からパンパンして、さらに奥へと進む。 ![]() この辺にも、岩盤の露出している箇所がある↓。 ![]() 奥の方は墓地。 でもちゃんと案内が出てるので安心。 ![]() そしてここからが山道。 ![]() ![]() にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年02月22日 22時30分49秒
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