カテゴリ:城(中国)
頭崎城<広島県東広島市高屋町貞重>
(住所をクリックするとMapfanにリンクします) ※「東西条バトル編(16)」の続きです。 登山口の少し手前には、頭崎城について書かれた看板がある。 タクシーのおじちゃんが気をきかせてここに寄ってくれたので、 ちょっと降りて写真だけ撮らせてもらった。 【県史跡 頭崎城跡(かしらざきじょうあと) 昭和44年4月18日指定 大永3年(1523)出雲の戦国大名尼子経久は安芸国に南下し、大内氏の支配する 東西条の鏡山城を攻略した。この事態に対処するため、白山城主平賀弘保は 頭崎城を築き、嫡男興貞の居城とした。 標高504m、ふもとからの比高200mの険しい山を利用し、その頂上から 四方にのびる尾根に多くの郭を有機的に配置し、石積み、土塁、竪堀などの遺構も よくのこす戦国時代の典型的な山城である。 甲の丸(本丸)、西の丸、太鼓の段、煙硝の段などという郭の名前とともに、 ふもとには、新市、お屋敷、タタラなどの地名がのこっている。】 (現地解説板より) 再び車を走らせて、着いたのがこの場所。 ![]() 今日も頼りのコースガイドは、『広島近郊の山城と史跡ベスト33』。 これの地図を見せた訳じゃなかったんだけど、ここも登山口だという。 「ホントに好きな人は、この奥まで行きますけどね~。 どうします?」 「で、でもここも登山口なんですよね?」 確かに登山口だと言うし、眼の前にもそう書いた看板があるので、 ひとまずここで降ろしてもらった。 タクシーを見送ってから看板まで歩いていってみたら、 こう書いてあった↓。 ![]() ああっ、これ、極楽寺の方かあ~! 予定では、こちらの道は使わないつもりでいたのだ。 『広島近郊の山城と史跡ベスト33』にはこのルートは書いてない。 事前に調べた訪城記の中では、1人だけこのルートを歩いてる人がいたけど、 その方は下山に使った道で逆方向だし、途中の道すじの紹介は 全くといっていいほどされていなかった。 極楽寺経由登山口のだいたいの位置はわかるし、 確かに城跡まで行けることもわかってはいるけど、 何しろ詳しいことがわからないので、かなり不安になった。 ああ、やっぱり地図を見せて当初予定の登山口か確認するんだったな・・・ 周りを見渡すと、こんな風景が広がる↓。 ![]() 写真の下の方から走ってきたから、 この奥っていうとさらにこの先へ進むって意味だと思うけど、 城跡は写真でいうと右方向のハズなんだけどな・・・ 「ホントに好きな人」ってどーゆー意味? その人達は一体どこから登るっていうんだろ? どのみち、ここから当初予定してた登山口までは歩いていける距離のはずで、 そう遠くはない。 それだけの距離のためにタクシーを呼ぶのも何だし、 行かれることはわかっているので、諦めてここから登ることにした。 一番上の写真の手前の道を、右に上がっていく。 途中の左側にはこんなのどかな風景↓。 ![]() この辺から次の看板は見えないので、どっちへ行ったらいいのかわからない。 左に入る小道をしばらく行ったり来たりした後で、 元の道に戻ってそのまま上まで登ってみた。 少し上がったところで、脇にある民家につながれたわんこ(柴犬)に吠えられた。 吠えてはいるものの、尻尾も振っていたので近寄ってみたら なつっこい可愛い子だった。 しばらく撫でて(犬と)話していたら、家の中からおじいちゃんが出てきた。 わんこの名前はチコちゃんだという。 あっ、チコちゃんの写真がないや・・・ 登山口のことを聞いたら、やっぱりこのまま真っ直ぐ進めばいいらしい。 「どっから来たん?」 「千葉です」 「千葉あ~!1人でか!?」 「はい」 「1人で登るんか?大丈夫かあ~?」 ・・・とまあ、これまでもこの先も、私の旅において広島の各所で 何度も繰り広げられる会話をしばらくした後、 チコちゃんにバイバイして登山口へ向かった。 おじいちゃんも以前はよく頭崎山へ登っていたらしいが、 最近は足腰が弱くなって行っていないという。 道を教えてもらったので、安心して再び登りだす。 途中の右手にはこんな風景が広がる↓。 ![]() 今はこんなのどかな風景だけど、かつてはこの辺にも兵が押し寄せてたのかな・・・ さらに進むと、次なる案内が見えた↓。 ![]() ![]() ああ、よかった~。 いきなり道がわからなくてどうしようかと思っちゃったよ ![]() ![]() ふむ、ここは極楽寺への参道も兼ねてる訳だな。 ここから山道に入る↓。 ![]() ![]() 道は割に広くてしっかりしてはいるんだけど、 鏡山城はもちろんのこと、昨日の新高山城よりももっと山道らしい道。 しっとりと濡れた落ち葉が積もっているので、足元にも注意がいる。 歩く道々には、沢山の石仏がある↓。 ![]() ![]() ううん・・・・ 雨が降りそうで曇ってるから山中は薄暗いし、 あんまり沢山の石仏があるのもコワイな・・・ ![]() 実はこの城は、バリバリの実戦経験を持つ城なのだ。 だからちょっと、行く前から恐さがあったんだよね~。 それでも頭崎城を選んだのは、安芸およびその周辺の歴史において この城が非常に重要なカギを握る城だったから。 その話は、もうちょっと後でね。 恐さはあったものの、詳細なルートがわかってない分、 迷った時のために道沿いの石仏は全部写真に収めた(笑)。 しばらく歩いていてふと気付いたんだけど、 この道は極楽寺への参道も兼ねてる訳だから、 寺へ着くまではお地蔵様がずっとおわすのか。 なら、恐いどころかお地蔵様が見えてるうちは正しいルートを 辿ってるってことになるのかな・・・って、 ここの道の法則を理解した。 歩き始めて少しすると、道から少し外れたところには石垣が現れる↓。 ![]() さらに上がると、巨岩がごろごろした場所に出た↓。 ![]() ![]() ↑これなんかはデカすぎて、真下からだと全部画面に収まりません。 で、この上が極楽寺の境内。 まずは立派すぎる宝篋印塔がお出迎え↓。 ![]() ![]() よくわかりませんが、とにかく立派でした(笑)。 この向かいに、境内を上がる石段がある↓。 ![]() ![]() にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年04月06日 15時10分09秒
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