2072346 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2013年06月08日
XML
カテゴリ:江戸めぐり
      巣鴨12・真性寺13



↑こちらは、「プチ巣鴨編(8)」で紹介した銅造地蔵菩薩坐像。
簡単な説明は前にも書きましたが、今回は解説板を撮ってきたので
以下にご紹介します。

 
 【江戸六地蔵の由来は、その一つ太宗寺の像内にあった刊本『江戸六地蔵建立之
  略縁起』によれば、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を
  両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に
  倣って、宝永3年(1706)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中
  6ヵ所に地蔵菩薩をそれぞれ一体ずつ造立したと伝えられています。

  各像の全身及び蓮台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されており、
  神田鍋町鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかります。
  六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第6番)は、廃仏毀釈で
  取り壊され、5体が残っています。

  六地蔵のうち、眞性寺の地蔵は第4番目で、正徳4年(1714)に造立されました。
  平成20~22年度の修理の際に胎内から銅造地蔵菩薩坐像4体と銅札、
  木札等が多数発見されました。それらは修理完了時に再び体内に戻され、
  大切に保存されています。像高は、268cmあり、かつては鍍金が施されて
  いました。

  江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから
  文化財に指定されました。】
  (漢数字は戦国ジジイが変換)


お地蔵様の下には、六地蔵関連の碑がやたらある↓。


      巣鴨12・真性寺15



すぐ近くには南側の門があるんだけど、
ここで去年は気付かなかったモノを見つけた↓。


      巣鴨12・真性寺16



石造りの柱に、木造の木鼻がくっつけられてる泣き笑い

木鼻ってのはそもそも、柱を組んだ出っ張りの部分の先端に
彫刻を施したものなんだけど、この柱は石だから、別にいらない訳ですよ。
でも、ぺこんと貼りつけてる。

昔使われてた残りなのかな?
面白いなあ~。


表門は唐門・・・で去年撮ったと思っていたせいか、
全体の写真がありませんが、
部分的に拡大したのを数枚撮りました。


      巣鴨12・真性寺17



↑このトゲトゲは去年も気になったんだけど、
斗栱をよく見ると絵が描かれているし、かすかに彩色の跡も残ってる。
かつては相当華やかな門だっただろう。


      巣鴨12・真性寺18



↑これは松と鷹、かな?
カッコいいな・・・
こーゆーモチーフって、ありそうであまりない気がするけどね。


      巣鴨12・真性寺20



あとは、外側の土塀沿いを少し歩いてみました↓。
軒丸瓦とかは、全部檜扇(ひおうぎ)紋です。


      巣鴨12・真性寺19


境内を見終えて次へ向かおうとしたら、
表門をちょっと脇に行ったところになにやら解説板があるのを見つけた。


 【江戸・東京の農業 旧中山道はタネ屋街道

  旧中山道を通る旅人の中には弁当を食べるため、街道沿いの農家に立ち寄り、
  縁側を使わせてもらう人などもいました。
  旅人は、農家の庭先や土間で見慣れない野菜を見かけると、国元で栽培しようと、
  タネを欲しがる人も多く、やがては農家の副業としてタネを販売するように
  なりました。

  その後、江戸・東京が生んだ滝野川ゴボウ、滝野川ニンジンなど優れた野菜が
  出現するとタネを扱う専門店ができ、明治の中期には巣鴨のとげぬき地蔵から
  板橋区清水町にいたる約6kmの間にタネ屋問屋が9戸、小売店が20戸も
  建ち並びさながら、タネ屋街道になっていました。

  寛永20年(1643)の代官所に申告した書き付けに、長野県諏訪からきた
  タネの行商人が榎本種苗店(豊島区西巣鴨)に仕入れにきた模様が記されています。
  馬12~3頭をひいてタネを仕入れ、帰り道「萬種物」の旗を立てて街道の
  タネ問屋に卸していったり、農家に販売して歩くなど、さながら富山の薬売りと
  同じようにタネも行商により商われていました。

  平成9年度JA東京グループ 
  農業協同組合法施行五十周年記念事業
  東京都種苗会】


へええええ~っ!!
そんな庶民の歴史なんて知らなかった・・・
JA設置の看板ってとこがいいよな。

てか、巣鴨は中山道沿いだからはるばる諏訪から来たとかって解説になってるけど、
旅人はどの街道でも弁当を食べるんだから、
他の街道だってタネ屋街道になる条件はあったんじゃないのかな?

ただ、すぐ近くに植木屋の密集地帯・染井があるから、
特に中山道がタネ屋街道として発展したのかな?
ああ、でも植木と野菜じゃ違うか泣き笑い

 
こーゆー庶民の身近な歴史ってのは、その道の専門家だとか、
知ってる人しか知らない歴史だろうからね。
どんどんこの類の看板は設置してほしいところだよね。

それにしても、馬12~3頭の荷物の中身は全部タネでっかびっくり
一口に行商って言っても、かなりの規模だよね。



さて・・・ここからは、去年撮れなかったモノを探しに、
白山通りを南へ。
下だけ見ながら。
・・・て、探し物がなんだかもうおわかりですね。

白山通りの巣鴨駅周辺は、店が沢山立ち並んでてかなり人も多い。
その合間を縫って、探す探す・・・
が、ケイキさん(徳川慶喜)の屋敷跡を過ぎても見つからなかった。

おっかしいな~。
この辺のハズなんだけどな~。


見つからないものはしょうがない。
白山通りを渡って駅へ向かうことにした。

先人の写真を見ると、確かにこの辺にあるはずなんだけどな~・・・

もんもんとしながら、信号が青に変わったので渡ろうとしたら、
車道の真ん中にお目当てがあるのを発見!
うわあ、こんなとこに・・・!!

てな訳で、探してたのはこれです↓。


      巣鴨12・千川上水上のふた



「プチ巣鴨編(7)」で千川上水のことを書きましたが、
このふたは六義園への流水路の上にあるもののようです。

ただし、千川上水の六義園への水路は
昭和43年の都営地下鉄工事で中断されているため、
このふたはそれ以前に設置されたもののハズであり、
現在は使われてないだろうとふたマニアの方は述べておられる。


横断歩道の手前で信号待ちしてる車内からの視線を感じながらも、
千川上水ゆかりのふたへの情熱が、わたくしをして
横断歩道のど真ん中に立ち止まって写真を撮らせることになりました。

ま、さすがに恥ずかしさもあったので、
さりげなく日傘で隠してはいたんだけど(笑)。




今度は電車に乗って、山手線で3駅移動。
降りたのは西日暮里(にしにっぽり)。

もちろん本日のメインはお墓参りだった訳ですが、
無事メーンエベントも終えたし、ここからが午後の部の本番になります。


にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年01月04日 21時10分50秒


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ]
価格:2916円(税込、送料無料)







PVアクセスランキング にほんブログ村

お気に入りブログ

ほげほげと えびねっこさん

© Rakuten Group, Inc.