カテゴリ:城(中国)
福山城<広島県福山市丸の内1丁目>
(住所をクリックするとMapfan webにリンクします) ※「福山編(6)」の続きです。 福山駅前にある今回の宿にまず荷物を預けて外へ出ると、 すぐ目の前に福山城二の丸の石垣が広がる↓。 ふふふ・・・ 福山駅周辺には宿が沢山あるけど、復元とはいえせっかくの天守を持つ 近世城郭のそばなのだから、もちろん私はキャッスルビューの宿を選んだ。 早いうちから予約を入れていたので、旅行の少し前に 福山のホテルで火災があったというニュースを見た時には 「えっ?私のとこじゃないよな・・・ 大丈夫かな、福山・・・」 と焦ったものだ。 ああそうか、今にして思えば、この時からトラブルの予兆はあったのカモ・・・ いや、幸いと言ってはなんだけど、私の予約していた宿は無事でした。 旅の予定を組む時はヒコーキと宿を押さえた後で本格的にコースを検討する訳だけど、 一時はごっそり山城攻めに切り替えて、 福山城は宿からの眺めだけでガマンしようというプランまで考えた。 そもそも福山に行きたかった理由のひとつが、 この福山城であったにも関わらず まあ、天候の事情もあって最終的に福山城に行かれることになったから良かった。 とは言っても、空港でのトラブルで予定より1時間遅れてしまったので、 もう12時。 現在残されている遺構はごく一部とはいえ、それなりの規模はある。 果たしてこの私が、日の短い時期に半日でどこまで見られるだろうか・・・ さて、こちらが福山城全体の絵図↓。 (福山城博物館特別展「福山城展-城と城下町-」図録より) 福山城の絵図は結構数があって、私が一番見やすいのは 正保城絵図の中の「備後国福山城絵図」なんだけど、 ここに掲載できる形での資料は持ってないので、 仕方なく「福山城古絵図」から・・・(笑)。 近世城郭跡って、解説と共に縄張図も掲載してくれるところが多いもんだけど、 福山城にはそれがなかった。 いや、福山城に行かれた方の記事を見るとどこかにはあるらしいんだけど、 私は見かけなかった。 看板に縄張図があったら、遠慮なくそちらを使うんだけどね。 結構、こーゆー案内板の設置の仕方などで その街がどの程度歴史面の観光に力を入れてるかがわかる。 観光に力を入れるということは、整備にも力を入れてることにつながる。 事前の下調べの時には、いつも観光協会のサイトもチェックするんだけど、 福山はあまり参考にできるような情報がなかった。 ので、行く前からそういう面で不満はあった。 いきなり福山市の観光事業にケチを付けるようでなんですが、 せっかく歴史ある観光スポットを沢山抱えてるんだから、 街のお宝をきちんと効率よく、歴史ファンも満足させられるような 観光案内の方法を考えて欲しいよな~と個人的に思ったものです。 まあ、それはともかく。 上の写真は絵図でいうと、★の場所から見たところになる↓。 下の部分の青のポッチから下は、 現在福山駅になってると思われるところです。 三原城ほどじゃないけど、ここも城の中を電車が通っていることになる。 福山城の本城域の南半分は内堀で囲われており、 18世紀後期に描かれた「阿部時代福山城絵図」によると 内堀の総面積は3,259坪。 で、最初の写真の手前に写っている道路はかつては内堀でした。 この内堀に沿う二の丸下の東南部分は現在では小綺麗な公園風になっている↓。 内堀だったから、それをイメージさせるような造りなのかな? とも思ったが、ウィキペディアには 【福山駅北口に面する二の丸石垣の直下は往時に内堀の近接していたことから 内堀を模した親水施設が造られたが、本来の内堀とは規模・形状は全く異なっており、 工事により本来の遺構を破壊した可能性も指摘されている。】 とある。 この公園の完成は平成18年。 戦後すぐならともかく、平成ともなれば歴史遺産に対する価値観も 高くなってきてるんじゃないかと思うけどね。 まあ、数年前にも京都あたりで遺構をうっかり破壊しちゃって 大ヒンシュクを買ったニュースなんかもあったし、 宅地造成などのためにマイナーな遺構が破壊されるなんてケースは 最近でも聞くからね。 それより、ここの石垣はなんかビミョ~なんだけど・・・ これ、昔のままか? 二の丸下の東南隅↓。 なんか妙なオブジェが・・・ 同じく東南隅の石垣↓。 ここも下部の石はなんだかアヤシイ。 遠目で全体を見ると色が違ってるし、かなり後になってからの補修の跡かもな。 でもここは駅のすぐ前なので、福山駅を出るとまずこの石垣が目に入って 結構テンション上がります んで、早速石垣に近寄って刻印探し~。 ↑これはこの上の写真と同じ石垣です。 下部の石は上部と比べて材質も違うし、何より形と表面が・・・ はっきり言って、綺麗じゃない。 綺麗っつっても、別にぴっちりした切込ハギなんかと比べて言ってるんじゃなくて、 なんつーか・・・ フツーの城って、こーゆー石、使わないよな?って石が多いのだ。 だから、後世の補修といっても、かなり後の時代になってからのものじゃないかと 私は思った。 まあ、水が張ってた影響とかもあるのかもしれないけど。 <※2013年7月6日 追記 私の言う「綺麗じゃない石」は、どうやら空襲で石垣にも火がかかり 石の表面が剥がれ落ちたものだったらしいです。福山駅を出てすぐの場所なので、 戦火を受けた綺麗じゃない石による石垣もぜひ見てってください。) さらに近寄ると、矢穴のある石をいくつも見つけた↓。 あと、刻印も↓。 ただ、この後南側の石垣に沿って歩いていた時、 ビミョ~な刻印もいくつかあったので、あるいは面白がって 人のいない時間にこっそり刻印を付けたバカ者でもおったんじゃないか!? とちょっと思ったので、もしかしたらいくつかパチもんも混ざってるかもしれません。 さすがに矢穴まで模造する頑張りやさんはいないと思うけど(笑)。 東南隅の算木↓。 ここからは、刻印を探しつつ二の丸南側の石垣に沿って侵入口・・・ いへ、城内への入口を目指します↓。 途中から振り返ったところ↓。 この辺の石垣は昔のままらしいな。 右側に写ってる道路は、かつては水堀の中あたりだったと思われます。 そして歩道部分は武者走り 現在はこの石垣に沿ってまっすぐ歩けるようになってますが、 真ん中へんはかつては石垣で遮られていて、 ★のゴールまで行くのにピンクのルートのように回り道せねばなりませんでした↓。 博物館で買った図録には、いくつもの絵図が掲載されてはいるんだけど、 ここの部分はどうも見にくい。 モノによっては完全に行き止まりになってるように書かれてるのもある。 もしかしたら時代によっては通れなかったかもしれませんが、 通れたとしたら、ってことで上の図を見て下さいね で、ピンクのラインが途切れてる場所が鉄御門。 櫓門だったらしく、年代不明(恐らく明治初期頃)の「福山城(偕楽園)並びに 勇鷹神社絵図」には櫓台だけが描かれている。 鉄御門の南側には枡形虎口があり、内堀を渡った先に追手門があった。 今は、北門も追手門も影も形もありませんけどね。 追手門の先にはさらに外堀が広がり、大手側から侵入しようとした場合、 堀を2つ超え、死の枡形を2つクリアし、さらには城門の中でも最強を誇る 櫓門を2つくぐり抜けないと本城域へ到達できないという、厳重な造り。 ハイテクな近世城郭には、中世山城とはまた違った楽しさがあるからね。 特に近世城郭は山城にくらべて古絵図も結構残っているので、 シミュレーションもしやすい ・・・て、城内に入る前からシミュレーションモードに入っている 気の早いわたくし・・・(笑)。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年07月06日 15時44分17秒
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