カテゴリ:上野と寛永寺
竹隆庵岡埜さんでは他にも色々とお菓子を買いましたが、
こごめ大福の賞味期限は当日中だったので帰ってから早速大福を食べてみたところ、 とっても美味しかった。 大福とかの和菓子って、皮が薄くてあんこがびっしりの方が美味しいイメージがあるけど、 こごめ大福はもっちり皮が厚い。 だけどサイズが大きいので気にならないし、小さな米粒が残っている皮は ふっかり柔らかくて、麩まんじゅうみたいな感じ。 あんこも甘すぎない。 お値段はちょいとお高めですが、それだけの価値はあります。 宮が召し上がった当時の大福とは多少変わってる可能性もあるけど、 それでも公弁法親王にゆかりのお菓子ではあるし、 薗田秀延ら側近も御相伴にあずかったかもしれないなんて 妄想しながら食べるのもまた楽し お店を出て、当初の予定では上野に戻って寛永寺に行くはずだったけど、 入谷に着いて地上に上がった時に方角をすまほで確認してたら、 有名なお寺が駅のすぐ近くにあることを知ったので、 駅を越えて言問通りをそのまま歩いていくことにした。 昭和通りにかかる歩道橋の上からは、前方に妙な物体が見えた↓。 あれかな。 この歩道橋の下には、入谷朝顔発祥の地の碑がある↓。 言問通りと昭和通りがクロスするこの交差点には おまわりさんが立ってたし、その先の道にも2人制服をびっちり着込んだ おまわりさんがいた。 このクソ暑いのに、大変だな・・・ 熱中症にならないといいけど。 で、少し歩くとすぐそれっぽい塀が見えてきた↓。 世間的にはかなり有名なお寺だけど、わたくしはここへ来るのは初めて。 もそっと下町っぽいごちゃっとしたお寺を想像してたんだけど、 ずいぶん小綺麗だな・・・ ここの塀は低いので、例によって軒丸瓦をチェックしながら歩いていたら、 いちじく・・・? いや、ブツブツがあるから、ざくろか! ほおほお、ざくろか。 なるほどね~。 しかし、フツーは軒丸瓦って同じ模様の瓦がずっと続くもんだけど、 ざくろの隣には これがざくろと交互に並んでいるのだ。 これは珍しい。 で、お寺の正面↓。 【入谷鬼子母神(いりやきしもじん) 入谷鬼子母神は、日蓮上人の尊像とともにここ眞源寺に祀られている。眞源寺は、 万治2年(1659)日融(にちゆう)承認により創建された。 鬼子母神は、鬼神般闍迦(はんしか)の妻で、インド仏教上の女神のひとりである。 性質凶暴で、子供を奪い取っては食べてしまう悪神であった。釈迦は鬼子母神の末子を 隠し、子を失う悲しみを実感させ、改心させたという。 以後、「小児の神」として 児女を守る善神となり、安産・子育の守護神として信仰されるようになった。 入谷鬼子母神では、子育の善神になったという由来からツノのない「鬼」の字を 使っている。 また、7月上旬、境内及び門前の道路沿いは「朝顔市」で賑わう。入谷名物となったのは 明治に入ってからで、十数軒の植木屋が朝顔を造り鑑賞させたのがはじまりといわれて いる。当時この地は、入谷田圃といわれ、朝顔や蓮の栽培に適していた。 大正初期、市街化により朝顔市は途絶えたが、昭和25年復活。以後、下町情緒豊かな 初夏の行事として親しまれている。】 (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換) も~お入谷っつったら朝顔とココ! 「恐れ入谷の鬼子母神」といえば大抵の方が知っているでしょう。 塀の軒丸瓦がざくろだったのは、鬼子母神がざくろを手にしているからだと思われます。 眞源寺で使っている「鬼」の字はてっぺんの点がない漢字なのですが、 常用漢字じゃないのでここでは使えません。 悪い神様からいい神様になったのでてっぺんの点(ツノ)を取ったってことらしい。 境内はあまり広くはない。 中に入ってみると、すぐ右手にはこれがあり↓ その脇の塀には下谷七福神の場所を示す看板がある↓。 ふ~ん、ここにあるのはどれも近そうだけど、7体そろってないぞ。 竹隆庵さんでもらった「下谷おさんぽマップ」を見ると、 布袋さんなんかは三ノ輪(入谷の次の駅)の方まで行かなきゃならないようだから、 このもうその中じゃ七福神制覇はムリだな。 ちなみに、寛永寺の西にあたる谷中(やなか)にも谷中七福神があり、 寛永寺の堂宇もひとつ谷中七福神に入ってます。 まだわたくしはそこへ行ったことはないんだけどね。 で、眞源寺の福禄寿↓。 しかし、わたくしの目はイレモノである厨子の造りに向く↓。 すげえな、この組物。 ちいちゃな部材を本式の建築物のようにきっちり正確に組んで 上を支えてるって訳でもなさそうだけど、だからと言って「組物風」に 斗供(ときょう)の彫刻を施した訳でもない。 しばらく厨子を眺めたあとでふと足元に目をやると、 お堂にはもう一人福禄寿がひっそりとおられた↓。 お堂の脇には百度石があり、その隣にある石燈籠はちょっと変わってる↓。 銘を覗いてみたけど、あいにくいつのものかわからなかった。 お堂から離れて正面へ向き直ると ずいぶん新しい建物みたいだな。 まあ、この辺も戦災に遭っているだろうから古い建物が残ってないのは しょうがない。 右手の白い建物が「玄関」にあたるんだろうか。 上にある紋は これが寺紋かな。 それぞれを拡大すると いやん、ちょっと目がコワイんだけど 入口の向かって左側にもいくつかの碑などがある。 大きいのが日蓮さんを祀るもので、その隣が針供養碑↓。 その奥には歌碑↓。 字がよく読めないところもありますが、正岡子規の歌碑のようです。 その奥↓。 中にどなたかいる・・・ 台座には「日朝聖人」とある。 眞源寺は日蓮宗の一派である法華宗本門流。 日朝さんは室町頃を生きた方のようなんだけど、 日蓮宗の宗祖の日蓮さんでもなく、法華宗本門流の派祖とされる日隆さんでもなく、 眞源寺の開祖である日融さんでもなく、日朝さんがここにいる。 眞源寺の中興の祖という訳でもなさそうだけど・・・ その隣には日蓮宗のバイブル、法華経がある↓。 こーゆーのも珍しいよな・・・ さすが日蓮宗だ、という感もなきにしもあらずですが、 鬼子母神のエピソードは法華経に出てくるんだそうな。 何十年先になるかはわからないけど、いずれは法華経全制覇してみたいので、 鬼子母神の出てくる品(ほん)をやるのが今から楽しみです。 たぶん、それも話長いんだろうな そもそも、金光明最勝王経だってやっと半分までいったものの、 前半は陀羅尼が入ったり本文の調子に色々変化があったのでまだよかったけど、 後半部は単調な文章が延々と続くようなので、逆に大変そうなのだ。 韻を踏んでるのかもしれないけど、似たような文言を繰り返し使う 単調な文章を正確に覚えるってのはなかなかしんどくてね。 たぶん、今年中には金光明最勝王経は終わらんな。 ↓ぽちりとよろしく~。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年08月03日 23時31分13秒
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