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テーマ:読み聞かせ(296)
カテゴリ:絵本
11月2日の記事(『へんなどうつぶ』)で、100まんびきではなくひゃくまんびきで検索すると古い絵本が出てくると書いたが(楽天ブックスでは絵本にカテゴライズされている)、図書館で取り寄せたところ、絵本ではなく紙芝居だった。16枚。画家は川本哲夫。ずいぶんさっぱりした絵。
脚色の高橋五山は戦前に幼年雑誌の編集者として活躍、その後、紙芝居に芸術性を持ちこもうと自分で会社を立ち上げた出版人。今でも出版紙芝居の年間最優秀作に与えられる賞は彼の名を冠しているんだそう。私は紙芝居には割と冷淡にきてしまったので全然知らなかった。 街頭紙芝居は戦前の子どもたちには最大の娯楽のひとつで、しかし道を行く子を引き寄せるために強烈かつ上品とは言えない内容で、文化とはみなされていなかった。しかし高橋は子どもの心を惹きつけるメディアとしての紙芝居に着目(絵・話・語り手の三位一体の効果)、文学性芸術性をこれに加味できたら子どもたちに及ぼす教育的効果はいかほどのものかと考えたようだ。彼が制作した最初の「幼稚園紙芝居」全10巻のラインナップは『赤ヅキンチャン』『花咲ぢぢい』そして『ピーター兎』等々。最後のはポターだろう。日本の昔話、グリム、海外の創作。 戦時中は国策により幼児や小学生への戦争教育に紙芝居は積極的に利用される(←東京裁判でも証言がある。なんと紙芝居の実演つき)。その反省に立って、五山は新たに「教育紙芝居研究会」を立ち上げるなどして紙芝居の一層の普及と発展につとめた。企画編集のみならず、自分も作家として書いたり描いたり。今も流通しているものでは、一本道で出会った町のこぶたと村のこぶたが譲らない「こぶたのけんか」がおもしろそう。 というわけで、高橋五山先生はなかなかの人物であることはわかった。ガアグのこれをいち早く紙芝居に取り上げたのも慧眼。原作の出版は1928年だが、岩波から邦訳絵本が出たのが61年、しかしこの紙芝居はなんとそれより2年も早く出版されているのだ。版権とかどうなってるのとちょっと心配したりして。 ただ…なんというか、紙芝居として少なくともこの「ひゃくまんびきのねこ」は相当イケてないと思う。まず絵にまったく力が無い。素朴かつ奇妙な味わいと、文字との兼ね合いがデザイン的に抜群の、絵本史上に燦然と輝く歴史的名著を持ってくるのに、これは無いだろう。地の文も品はいいかもしれないが、気の抜けた粗筋紹介のようで、しかもあの魅力的な繰り返しが省略され過ぎている。いくら簡略を旨とする紙芝居でもこれはいただけない。原作絵本の「ひゃっぴきのねこ、せんびきのねこ、ひゃくまんびき、一おく 一ちょうひきのねこ」は単に「ひゃくまんびきはいるでしょう」なんて言葉には置きかえられるものではないのだ。「そこにもねこ、あそこにもねこ、どこにも、かしこにも、ねことこねこ」という文章によって、この百万匹の猫たちは呼び出されているようなものなのだから。それから、猫たちの大げんかによる消滅(共食いと作中では推測されている)は余りに残酷と考えてかいきなりの竜巻でみないなくなったことに改変されている。作者の許可、とってないのではと思わざるを得ないのはこのあたりも含めてである。 このままではどうにも落ち着かないので、本物です。石井桃子の訳文は完璧。 100まんびきのねこ 来月から世田谷文学館で、石井桃子の回顧展が開かれます。『くまのプーさん』『ピーターラビット』『うさこちゃん』、お世話になった人は多いと思います http://www.setabun.or.jp/exhibition/ishiimomokoten/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.01.29 22:33:46
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