日本水軍との戦い描く映画、韓国で2大記録を樹立
AFP BB NEWS 08月18日(月)11時01分の配信です。日本水軍との戦い描く映画、韓国で2大記録を樹立 韓国映画『鳴梁-渦巻く海』の一場面。CJエンターテインメント提供(2014年8月16日提供)。(c)AFP/CJ Entertainment 【8月18日 AFP】1597年に朝鮮水軍が日本水軍を破った「鳴梁海戦(Battle of Myeongnyang)」を描いた韓国映画『鳴梁─渦巻く海(Myeongryang)』が、韓国史上最大の観客動員数と、国産映画として初の興行成績1000億ウォン(約100億円)突破という2つの記録を樹立した。 ・・・続きはこちらから私見です。日韓関係は現在、朝鮮半島で1910年から35年間続いた日本の植民地支配に関する歴史認識をめぐり近年では最低水準まで冷え込んでいます。問題の映画ですが、史実に基づいた検証をして見ましょう。※鳴梁海戦は、鳴梁渡海戦ともいい、豊臣秀吉の慶長の役により慶長二年(1597年)9月16日に陸に呼応して西進した日本水軍と朝鮮水軍との間に起こった慶長の役における海戦の一つです。現代の韓国ではこの戦いを“鳴梁大捷”と呼び「日本に大勝した海戦」と認識・宣伝しています。韓国の認識では、日本水軍の参加兵力が「軍船133隻、運送船200隻」、損失が「沈没31隻、大破92隻、8000~9000人が戦死」とされています。史実・資料を鑑みないまま、全く学術的な方面を無視して、戦果の誇張と思われる創作的な主張が行われることが多く、歴史教科書にもそのまま記載されています。実際の日本水軍の兵力は藤堂高虎(2,800)、加藤嘉明(2,400)、脇坂安治(1,200)、来島通総(600)、菅平右衛門達長(200)の7,200名で、これに若干の他家の水軍を加えたとしても8,000人に満たないと思われます。さらに鳴梁海戦においては大型船(安宅船)を用いず、中型船である関船を選抜して運用していた旨が「高山公実録」に記されていることからすれば、上記のような現代の韓国が宣伝する際に挙げる数字に無理があることは明白になります。又戦果とその後ですが、その他の史料を合わせた場合、「朝鮮水軍は12~14隻で、日本側水軍の先鋒の中型船30隻を攻撃したのち戦場離脱、当該海域の制海権を放棄し、その日の内に追撃の恐れのない遠方まで撤退」となっています。俗に一回きりのヒット&アウエーの戦いでした。韓国では「西進しようとした日本軍に大打撃を与えてそれを阻止した」という記述で強調されています。戦闘の内容、および戦後に李舜臣が北方に退却したために、日本側の水軍は西岸に進出して戦略目的を達成しています。つまり制海権の放棄と艦隊の離脱逃走、日本軍を阻止できていないという史実は無視されています。韓国内では、一般的にはほとんど認識されていず歴史教科書にも載せていません。韓国は、自国に有利な歴史はしっかり捻じ曲げる面白い国ですね・・・ 出典:Wikipediaヒゲでした。