カテゴリ:江戸・東京
追分とは牛馬を追い分ける場所。その後、街道の分岐点を意味するようになる。甲州街道と青梅街道の分岐点が新宿追分である。伊勢丹やマルイが建つ新宿三丁目交差点がその場所。 江戸初期、五街道のうち甲州街道のみ江戸近郊に宿場を持たなかった。後年、内藤家の用地に新しい宿場を設けたので内藤新宿とも呼ばれた。新宿は、浅草商人の要請で開設されたという。江戸の発展とともに繁栄して、品川宿、板橋宿、千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれていた。 新宿追分から南東方向にかけて新宿御苑が広がる。ゴルフ場コースには最適。アップダウンあり、池あり、林ありで変化に富むコースになるだろう。しかし、ここは迫り来る大地震の広域指定避難場所でもある。古い建物の大木戸門衛所が24時間活躍しないことを祈る。 新宿御苑の西側彼方にはNTTドコモタワーがそびえる。ニューヨークの摩天楼・エンバイヤーステートビルを思わせる姿だ。2009年に完成して、都内ではミッドタウンタワー、都庁ビルについて三番目の高さだという。高層ビル群を広重だったら、どのように描くだろうか・・。 写真-1 新宿追分付近の新宿三丁目の交差点。バス停と交番にその名残がある。 写真-2 新宿御苑の大木戸門。その脇の門衛所は昭和2年の創建。 写真-3 新宿御苑の西方向には摩天楼がそびえる。都内で3番目の高さを誇るドコモタワー。 写真-4 広重名所江戸百景・四ツ谷内藤新宿。草鞋をはかせた馬と馬糞に意味がある・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年02月02日 10時25分47秒
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