一会員による『学城』第13号の感想(11/13)
(11)対象を全面的に把握するとはどういうことか 今回は橘美伽先生による食事に関する論文を取り上げる。前回説かれた本来人間が摂るべき食事の「一般性」を踏まえて、読者からの質問に答える形でより突っ込んで食事のあり方が説かれていく。 本論文の著者名・タイトル・目次は以下である。橘美伽武道空手上達のための人間体を創る「食事」とは何か(2) 《目 次》一、武道空手上達のためには「生命体に必要な地球の成分を摂りいれる」こと二、事実は過程的に見なければ正しく分からないものである三、武道空手上達のためには特殊性たる「哺乳類段階・サル段階」から食事に筋を通す必要がある四、武道空手上達のためには「日本人」の食としての筋を通す必要がある五、武道空手上達のためには武道が誕生できた時代の食事の筋を忘れてはならない六、武道空手上達のために食事で「脳」を創りかえる必要がある七、上達に限界がきている者ほどに食事を見直す必要がある 本論文では、本来人間が摂るべき食事の「一般性」として、「いのちの歴史」にそった食生活、すなわち生命体に必要な地球の成分を摂りいれる必要がある、という前号の内容がまず確認され、読者からの質問が提示される。「いのちの歴史」のヒトから遠い段階からしっかりと摂るべきだと前号で説かれていたことに関して、では牛肉はほぼ食べない方がいいのか、100歳近い方が長寿の秘訣を肉を食べることだと答えていたがどうなのかという問いに対して、その長寿の方の「今」の食生活ではなく「それまで」の食生活の事実の過程性に着目すれば、人生の大半の食事は粗食であったはずで、肉類の必要性はほとんどないこと(但し、爆発的な運動源・成長源としてはそれなりに必要であること)が、人間が哺乳類の中でも「サル」から進化してきたということと絡めて説かれる。さらに、日本人という特殊性をふまえるならば、日本人が古来より食べてきているものを一般性として摂るのが最良であること、武道空手上達のためには特に武道が誕生してくる時代に摂られていたその土地のいわゆる郷土料理を摂る必要があることが述べられる。その上で、そうした食事を摂ることで実体そのものを創りかえる必要があること、それは人間のすべてを統括する「脳」の実質を創りかえることも含まれていること、脳の実体の構造を創りかえることで脳の機能も大きく変革させることができること、武道空手の上達に行き詰まっている人こそ、過去の食生活を見直すことで正常かつより見事な人間体を創りなおしていく必要があることが説かれていく。 本論文でまず注目したいのは、この論文の展開が非常にすっきりとしていて、論文のお手本のような流れになっていることについてである。具体的には、まず先回、一般的に食事はどのようにあるべきかという問題が考察され、そこでは「いのちの歴史」をもとに考えると、生命体に必要不可欠な地球の成分を摂りいれる必要があると結論された。その上で今回は、「哺乳類段階・サル段階」としての人間、「サル」から進化した存在としての人間という特殊性の把握に基づいて、肉類などよりも野菜を中心とした雑食が必要であること、肉類を食べるにしても、その動物本来の運動をし本来の食べ物を食べている動物(狭いゲージの中で肉骨粉などを食べさせられている牛などではなく)の肉(ラム肉やクジラ肉)を食べるようにすべきであり、同じ植物性タンパク質でも生命体そのものを丸ごと食べられるアサリやシジミなどの貝や小魚などを食べる方がよいことなどが展開されていく。さらに、我々は人間の中でも「日本人」であるという特殊性をふまえるべきだとして、日本人の実体(遺伝子)や精神を創ってきた日本土着の食物、それも武道が誕生してきた江戸時代後期の食事のあり方を論理的に捉えてその筋を通した食事を摂るべきだと説かれていく。 このように、本論文は、まずは一般的な解答を与えておいて、そこから徐々に特殊性へと足を踏み入れながら論を展開していくという流れになっているのである。それも、人間とは何か、食事とは何かという一般論に貫かれながらの展開であって、「いのちの歴史」の論理で統一されており、非常に分かりやすくスムーズに読み進めることができるものとなっているのである。 「学問の体系化」という問題を考えても、このような論の展開、すなわち、一般性から特殊性へという論の展開、しかも当初掲げた一般論からは少しも外れることなく一貫した流れを持って説かれていく展開は非常に重要だと思われる。学問とは、一般論に貫かれた論理の体系であって、それを論文として表現すれば、こうした流れに必然的になってくるからである。 もう1つ取り上げたいことは、「学問の体系化」には対象を全面的に捉える必要がある、ということに関係する。この論文では、先にも触れたように、「いのちの歴史」という形で、生命全体の歴史性をふまえる形で人間の食事が取り上げられていたり、まずは食事の一般性を説いた後、サルから進化した人間として捉えるという特殊性、日本人という特殊性などという形で論が展開されていたりしている。これは対象を時間的な経過も含めて、全体的に把握するという視点を含んでいる(先回も取り上げた「過程性」という問題にもかかわる)し、「特殊性」という把握の仕方も、全体を貫く「一般性」をまずは捉えて、その中に部分を位置づけて論を展開していくものであるから、対象を全面的に高い視点から捉えているのだといえるだろう。「学問の体系化」のためには、対象とする事物のある側面だけを取り上げて論じていくのではダメであって、その全体を網羅する形で捉えて、その全体を貫く性質を説いていかなければならないのであるから、この論文で展開されている対象を全面的に捉えるという視点のあり方は、学問を創出していく上で重要な示唆を与えるものなのである。 筆者の専門分野である言語学でいえば、例えば日本語だけを研究していても、特殊性に貫かれる一般性の把握は可能であるとはいえ、どうしても視野が限定されてしまい、言語一般の学とはならない危険性がある。また、「今」の言語だけを取り出して、それだけを研究することでもって言語学だと主張することも、言語学を薄っぺらなものにしてしまうことになる。どのような必然性を持って、どのような過程で言語が歴史的に創出されたのか、それはサルからヒトへ、人間へと進化していった「いのちの歴史」の論理で捉えるとどのようなことがいえるのか、といった生成発展の道筋をも視野に入れて、言語を研究していく必要があるのである。 この論文に学んで、より過程的・全面的な言語の把握を行っていくことが、筆者の大きな目標である。