一会員による『学城』第3号の感想(5/13)
(5)文化の発展には「場所の移動」が必須である 今回も引き続き悠季真理先生の論文を取り上げる。ここでは、古代ギリシャのポリス社会が如何にして誕生していったのか、その過程性の構造が論じられていく。 以下、本論文の著者名・タイトル・リード文・目次を掲げておく。悠季真理古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(3)―ポリス社会が誕生するまでのギリシャ小史― 古代ギリシャの社会は、文化の中心となる場所を移動しながら、先人たちの文化を継承し、さらにそれを独自に発展させていくという過程を何重にも積み重ねて形成されていった。今回と次回はその歴史的過程を説く。 〈目 次〉 はじめに一、オリエントからギリシャへ、そしてさらにギリシャ内での場所の移動による文化の発展二、キュクラデス諸島を中心とした文明三、クレタ島を中心とした文化の発展四、クレタからミュケナイへ(以下は次号)五、北方からの新たな部族の移動六、植民活動の拡大と、その中でのフェニキア人との出会い七、フェニキア人の成り立ち八、ギリシャはフェニキアから何を学んだか九、植民活動の過程でギリシャが身につけていったものとは―ポリスの原基形態の誕生おわりに 本論文では、まず、ギリシャ哲学を理解するために、ギリシャ哲学が産み出される母体となったポリス社会とはどのようなものであるか、どのように創られてきたのかを、ギリシャがオリエントから何をどう学んだのかを中心に説くことが本稿の目的であることが述べられる。そして、古代のギリシャ人が、当初は自分たちよりはるかに進んでいたオリエントの文化に対して、驚き憧れる中で必死にその文化を吸収していったことが説かれた後、ギリシャ文化が中心地としての場所を移動しながら徐々に発展していった過程が説かれていく。第一の段階は、小アジアからギリシャへ農耕や牧畜などが伝わっていった時代で、青銅器文化もギリシャへと伝播する時代になると、多くの貴重な鉱物資源があったキュクラデス諸島を中心に文化が栄えたと述べられている。ここでは、鉱物資源を提供する代わりに得た資源で、さまざまな武器や農具を作る術を身につけていったことが説かれている。そして第二の段階は、クレタ島を中心としてオリエントとの貿易を発展させ、クレタ人が東地中海に支配権を拡大していく時代であるとされる。ここでは、エジプトに学びつつもエジプトを超えるような造船技術が高められていったと述べられている。さらに第三の段階は、ギリシャ本土のミュケナイに文化の中心が移っていく時代であって、ここでは、自分達の拠点を守るために、武器の精錬法や武具の改良が必死になってオリエントから吸収されていったこと、農業の発展についてもオリエントに学び自分たちの風土に合うように創り変えられていったことが説かれていく。 この論文に関してはまず、「人間は歴史性を持つ」(p.70)と述べられていることに注目したい。オリエント文明が次第にギリシャへと伝わっていった理由について、文化的な先進地域が後進地域へ植民や侵略という形で社会的交通関係を徐々に創り上げていくからだけではないとして、次のように説いておられる。「人間は認識的な実在であり、常に目的を持ち、それを実現する過程を経て、その人らしい人生を創りあげていく存在である。そしてその過程においては、常に現実の自分に満足することなく、さらなるレベルアップを望み、かつそのレベルアップに挑み、そしてそれを実現することによって、より見事なレベルの自分へと発展していく存在である、ということである。これを別の言葉で一般的に言えば、人間は歴史性を持つということである。」(同上) つまり、単に地理的条件によって隣接していて、一定の社会的精神的交通関係が創り上げられたからといって、必ずしも文化が伝承されるものではなくて、そこには人間の本質が深く関わり合っているということである。そして、その人間の本質とは何かといえば、「認識的な実在」であるということであって、これは他の動物と違って人間は目的をアタマの中に描いて、それに向かって行動するということである。しかもこの目的にしても、いつまでも同じレベルにとどまるようなものではなくて、常に上の目的を描いて、次から次へとその目的を実現するとともに新たなる目的像を描いていく、これが人間というものである、ということである。 この過程においては、前回説いた「丸ごと」相手の文化を受け入れるという姿勢、つまり「最初はその実力はきわめて幼いながらも、幼いからこそ先進文化に強烈に憧れ、それを必死で吸収していく」(p.71)ことが重要だと説かれている。さらに、こうした文化遺産の継承は、人類の歴史において繰り返しなされてきているのであって、これを端的には、「場所の移動による文化の発展」(p.70)と概念化しておられるのである。しかもこの「場所の移動」は、より生活環境が厳しい場所への移動として、具体的には、「水はけの悪い沼沢地であった内陸貧地」(p.82)などへと移っていくという形をとって、進んでいくのである。しかし、こうした厳しい環境においてこそ、ヨリ見事な文化が形成されていくのであって、これが人間が認識的な実在であるということであり、目的を持つということであり、さらなるレベルアップを望み、挑み、かつ実現していくということの中身であると思う。 こうした人類の歴史的な発展の流れは、端的にいえば、環境を変えることによってその反映たる像を変えていく(発展させていく)ということであって、同じような環境において、同じような反映をし続けるならば、必ず発展から衰退への道を歩むことになるという、認識一般の弁証法性、論理構造を内に含んでいるものとして捉えなければならない。であるならば、この人類の歴史的な発展過程の論理を、個人としての頭脳活動の発展過程の論理として、しっかりと掴みとらなければならないということになる。自らの頭脳活動、「論理能力」を向上させようとするならば、「場所の移動」は必然性であって、これが日本弁証法論理学研究会において後に説かれることになる、"change of the place, change of the brain"の論理であろう。人類の個体発生一般についていえば、例えば、小学校から中学校、高校へと進学していく際に「場所の移動」を伴うことがこの論理の無意識的な反映だといえるし、これを自らの学問を構築していく過程として意識的に捉え返すとすれば、物理的に「場所の移動」を行って、様々な反映をさせながらの学び、例えば合宿を行うときにはいつもと違う環境で行うことを意識したり、山登りをしながら思索したり、海や川で強烈な全身運動を行ったりすることが重要だということになる。さらに、自らの認識の問いかけを意図的に変革すべく、ヨリ高い目標を掲げて実践していったり、今まで想定していなかったような問いを立てて考察したりすることも、問いかけを変えることと直接に反映を変えていくという意味で、論理的な「場所の移動」と考えることもできよう。こうした問いかけと反映とを直接的に変革して、自らの認識の枠組みを突破していくことこそ、「論理能力の生成発展」に不可欠の要素であり、"change of the place, change of the brain"の論理の実践であるといえるだろう。 さて、もう1つ簡単にでも確認しておきたいことは、哲学が誕生した理由についてである。それは端的には、「ポリス社会の現実の問題を究明する流れの中から生み出された」(p.69)ということである。先にも述べたように、オリエント世界に比べて地理的条件に恵まれていなかったギリシャ世界において、オリエント世界を凌駕するような文化を花開かせるには、「ポリス社会の安寧に関わって、先人たちの築き上げた文化遺産を学びながら、自らの問題とする諸々の対象に取り組み、かつ究明してい」(同上)く必要があったのであって、決して閑人の単なる知的好奇心から求められたものではないのである。ここから我々が学ばなければならないことは、現実の問題に深く関わっての必死の研鑽を通じてしか、諸々の対象を究明する学問を構築していくことはできないのであって、学問は何よりもまず、現実の問題を解くためにこそ! ということを決して忘れてはならないのだ、ということである。学問の原点として、しっかりと押さえておきたいと思う。