比較言語学誕生の歴史的必然性を問う(5/5)
(5)比較言語学は言語の過程的構造を人類が把握するために必然的な段階であった 本稿は、言語研究の王道、つまり言語と認識との関係に焦点を当てつつ言語の性質を解明していくという言語研究の流れが、19世紀に誕生した比較言語学において寸断された論理的な原因について解明していくことを目的とした小論です。古代ギリシャにおいて始まった言語研究は、当初、言語とそれが指し示す対象との関係として考察されていきました。中世に至って、徐々に言語と対象との間に認識が介在するのではないかということが明らかにされるようになって、17世紀においては、言語が認識を媒介して現れるものであることが明確に把握されることにより、認識のあり方に基づく語の二大別がなされるまでになりました。20世紀には、言語の基盤となる認識に関して、言語規範という認識が存在することがソシュールによって明らかにされ、一方で言語として表現される認識の生成発展過程が、時枝誠記によって言語過程説として、つまり素材である具体的事物が概念過程を経て一般化され、さらに発音行為によって言語が表出されるという過程として、考察されるようになったのでした。しかしこの20世紀に至る直前の19世紀には、言語研究の流れは大きく逸脱し、言語を人間の意志とは全く無関係に生成・発展・消滅する音声であるとして、その音声がどのように歴史的に変化してきたのかの法則である音韻法則を追求することこそ言語学の目的であるとする比較言語学が誕生し、大きく発展していったのでした。言語研究の流れにおけるこの比較言語学の誕生の歴史的必然性を問うことが、本稿の目的であったわけです。 ここでこれまで本稿で説いてきた中身について、大事な点を中心にその流れを再確認しておくことにしましょう。 まず、比較言語学が誕生した直接的な契機について見ていきました。比較言語学誕生の原点は、ヨーロッパ世界によってサンスクリットが「発見」されたことでした。イギリス人のウィリアム・ジョーンズによって、古代インドの言語であるサンスクリットとヨーロッパの言語であるギリシャ語やラテン語との間に、驚くべき共通性が存在することが指摘され、ここに端を発して、サンスクリットの研究や、親縁関係にある言語の比較研究が盛んに行われるようになったのでした。こうした中で、グリムによって、インド・ヨーロッパ共通基語の無声閉鎖音([p,t,k])は、ゲルマン祖語で無声摩擦音([f,θ,x])になるという規則性(「グリムの法則」)が発見され、さらにはその例外だと思われていた事象の中にも規則性が存在することが明らかにされていったのでした。そして遂に青年文法学派といわれる人たちによって、「全ての音韻変化は、同一方言内、かつ所与の時期にあっては、例外のない法則に従って機械的に生じ、同じ音韻は同じ環境では常に同じように発展する」という主張がなされるまでに至ったのでした。 次に、比較言語学が誕生した19世紀とはどのような時代であったのかを確認していきました。19世紀はロマン主義が流行することで、経験主義的・実証主義的研究方法が盛んになった時代であったことをまずは説明しました。しかし一方では、科学の狭い領域への細分化、個別化の流れに対抗するようなヘーゲル哲学が時代を支配していたことも述べました。いい意味でも悪い意味でも、意識的にも無意識的にも、ヘーゲル哲学がヨーロッパの学界に浸透していた時代であったということです。ヘーゲルは世界歴史について、絶対精神が自己を展開し、自由を実現する過程として把握していました。全ては絶対精神であって、全ては生成発展するというヘーゲル哲学の根本は、歴史主義という言葉で表すことができるのでした。また、ダーウィンによる進化論が一世を風靡した時代であったことも説きました。適者生存の原理によって環境に適応した形質を獲得した生物種が分岐し、多様な生物種が生じるという進化論的発想が19世紀の思想的特徴の1つであったわけです。 最後に、比較言語学が誕生し発展していった背景には、当時の認識論的な実力の幼さという問題があることを指摘し、そこから比較言語学誕生の歴史的必然性を考察していきました。そもそも言語は、認識を物質化するものである点で他の表現と同様なのですが、言語規範という社会的な約束事を媒介することで、はじめて認識を外化できるものである点で他の表現とは異なっているのでした。そして、その言語表現を媒介する言語規範も認識の1つのあり方として存在するものである以上、言語として表現された認識に加えて、言語規範という認識も、言語とは何かを考える際には重要となってくるのでした。19世紀の当時は、こうした認識のあり方そのものや、言語と認識との関連を把握するという認識論的な実力がまだまだ不足していたため、感性的に把握できる現象的な違いを比較検討していくという比較言語学が隆盛を極めるに至ったのでした。しかし、いわば言語研究の王道から外れた形で発展していったこの比較言語学は、第1に、言語研究においては、単に「今、ここ」にある言語のみを対象とするのではなくて、その生成発展過程を問う必要があることを明らかにした点、第2に、言語を言語の物質的形態のみから究明していくことが不可能であって、やはり認識のあり方の究明を深化させていく必要があることを示した点、以上2つの意味において、その後の言語研究の発展に大きく関わっていたのでした。 以上のここまでの展開を踏まえて、本稿の大きな問題意識、つまり比較言語学誕生の歴史的必然性はどのようなものであったのかに改めて答えておくとすると、端的には、言語とはどのようなものかの過程的構造を人類が把握するための必然的な段階として比較言語学が誕生したのだ、ということになります。これまで説いてきたように、言語研究は認識とは何かを解明しつつ発展してきました。この方向性が限界に突き当たったのが19世紀であって、当時の歴史主義、進化論的発想を背景に、加えて経験主義的・実証主義的研究方法の隆盛に媒介される形で、比較言語学という言語研究方法が誕生してきたのでした。これは、ヘーゲルの歴史主義、つまりすべては1つであって、全ては生成発展するという思想、またダーウィンが描いた系統樹に触発されて、(少なくともインドとヨーロッパの)言語はある共通基語から枝分かれして派生したものであることを、事実に基づいて実証的に明らかにするものでした。また、前回の最後にも触れたように、こうした比較言語学の誕生、発展があったからこそ、個々の言語が具体的に如何なる過程を経て創出されるのかの考察がなされ、合わせて言語と認識との関係の考察の重要性が再認識されていったのでした。言語は対象→認識→表現という過程的構造において言語を把握することが必須であること、さらに、言語は言語の物質的形態である音声や文字だけをいくら研究しても、その本質を明らかにすることはできず、認識に基盤があることを把握することが決定的に重要であること、こうしたことは言語の過程的構造であって、この言語の過程も含めた全体像を明らかにするためには、19世紀の比較言語学というまわりみちが言語研究史には必要であった、ということなのです。 今回の論稿は、言語研究史の論理的な把握に向けて、その一端を明らかにしたに過ぎません。2年半ほど前に執筆した「言語過程説から言語学史を問う」と題した小論についても、今後、より論理的なものとして再生させていく必要があると感じています。比較言語学では明らかにされなかった認識論を踏まえた言語の系統発生を解明し、加えて言語研究史の論理構造を究明していくことで、言語とは何かの本質論、構造論をしっかりと構築していくとともに、その創出した言語学でもって、世の中の全ての問題を説き切る学問一般を構築する土台を創り上げていく決意を述べて、本稿を終了することにします。(了)