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バス停地名学のすすめ

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2007.09.13
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カテゴリ:文京区
(前回からのつづき)

富士神社の地には、古くから俗に富士塚と呼ばれてきた古墳らしき塚があったとされ、これに富士山麓から運び出した溶岩石を積み上げ、駒込富士としての形が出来上がったといわれます。江戸市中各地の富士塚の中では比較的古いものであり、山開きの行事では多くの参詣人で賑わってきたと伝えられます。富士塚正面には、加賀鳶をはじめとする鳶職の献石が林立し、本郷の旧地での加賀藩前田家との関わりを表しています。

上富士前交差点から駒込駅にかけての本郷通り西側は、広大な六義園の敷地です。六義とは、古代中国の詩経を分類する「風、雅、頌、賦、比、興」の根本六義に因む名称で、元禄8年(1695)に五代将軍綱吉からこの地を賜った柳沢吉保によって命名されました。もともとは加賀藩前田家の中屋敷で、広さは約4万5千坪にも及んだといいます。庭園は元禄15年(1702)に完成。桂離宮の庭園様式にならった回遊式築山泉水庭園で、元禄時代の大らかな気風を反映した名園といわれました。造園にあたって吉保は、自らの権力で千川上水の水を大量に引き入れたとされ、事実、第97回「堀割」の項でもご紹介の通り、昭和43年まで六義園には上水の引込みが行われていました。明治11年、六義園は三菱財閥の岩崎家により買収され、別邸とされていましたが、昭和13年に東京市に寄付され、以後史跡公園として一般公開されています。

ところで、駒込の名産といえば、古くは駒込茄子が有名だったようですが、初夢の縁起物を並べた「一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)」を、駒込では「駒込富士」「鷹匠屋敷(現駒込病院付近)」「駒込茄子」と、駒込名物をうたい込んだものとして、伝えられていたそうです。

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最終更新日  2007.09.13 22:43:25
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