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バス停地名学のすすめ

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2008.03.04
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カテゴリ:西東京市
バス停データ
◆所在地:西東京市 ◆路線:都営バス[梅70]系統他

みなさん、こんにちは。

ガード下を発車し西武新宿線をくぐると、田無町1丁目交差点です。田無町は旧田無市時代には本町と呼ばれましたが、合併後に町名が変わりました。交差点を直進すると、道は所沢街道(秩父道)となり、埼玉県所沢市へ通じています。青梅街道は、ここから交差点を左折し、旧柳沢宿(田無宿)へと入ります。かつて柳沢の字名があったのはこの近辺で、道幅はぐっと狭くなり、左右は旧街道らしい香りの残る街並みとなります。

少し走ると、右手に田無神社の鳥居が見えます。田無神社の創建は鎌倉時代といいますが、もとは北へ1キロ程離れた谷戸(現西東京市谷戸町)にあり、青梅街道が整備されるに従い、寛文10年(1670)に街道沿いに遷座しました。銅板を葺いた入母屋造りの屋根が特長の本殿は安政6年(1859)のもので、三手先組と呼ばれる建築様式も見応えあるとのことですが、残念ながらバスは一瞬のうちに鳥居の前を走り抜けてしまいます。

田無町3丁目バス停を過ぎると、右手奥に大きな提灯が目印の総持寺山門が見えます。こちらも谷戸にあったものが天保2年(1831)に移転してきたもので、当初は西光寺と称していましたが、明治8年に周辺の寺を併合し、総持寺と改めたといいます。山門の向こう側に見えている大きな欅の木は、嘉永3年(1850)に再建された本堂の落成記念に植樹されたもののひとつと伝えられます。

青梅街道は、旧田無市の中心部に入り、人通りも交通量も増えてきます。田無駅入口、田無警察署前とバス停が続き、ところどころに昔ながらの蔵造りの商家などを見ながら進んでいくと、間もなく上宿バス停に到着です。宿場時代の地名の名残がバス停として残されているのは、嬉しい限りです。旧柳沢宿は田無駅入口付近を境に、西側が上宿、東側が下宿と呼ばれ、昭和42年に住居表示が施行されるまでは、行政上の字名としても使われていました。

(次回へつづく)

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最終更新日  2008.03.04 22:25:37
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