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バス停地名学のすすめ

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2008.03.09
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カテゴリ:西東京市
バス停データ
◆所在地:西東京市 ◆路線:都営バス[梅70]系統他

みなさん、こんにちは。

田無用水が青梅街道を挟んで宿場の裏手を流れていたということは、現在ではビル・マンションの裏側ということになり、必然的に日当たりの悪い裏道となってしまいますが、それでもこうして道として残されていることの意義は大きいでしょう。街の歴史が市民の共有財産として整備、保存されていくきっかけとして、田無用水の存在は現在も生き続けているといっていいでしょう。

街道南側の「ふれあいのこみち」を田無駅付近までぶらぶらと歩いていくと、代々田無の世襲名主を務めた下田家の役宅を見ることができます。安政4年(1857)築という入母屋造りの大きな構えで、昭和60年に茅葺を銅板葺に変えてはいるものの、往時の面影を残した貴重な建物であり、明治期には明治天皇の来訪も受けているとのことです。

下田家の向かい側は広い駐車場になっていますが、その奥をよく見ると、名主下田半兵衛の善政を後世に伝える養老田碑と、凶作に備えた稗倉の一部が保存されています。養老田は、半兵衛が自らの田畑を生活困窮者や老人に提供したもので、碑文は幕末の儒学者安井息軒によるとのこと。稗倉の方は、古代の倉などに見られる板倉造りの様子などを間近に見ることができます。

上宿を出ると、バスは旧柳沢宿の中心部、すなわち田無駅前の市街地を抜け、宿場の西はずれとなる橋場バス停に着きます。

(次回へつづく)

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最終更新日  2008.03.09 21:27:31
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