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バス停地名学のすすめ

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2008.09.14
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カテゴリ:荒川区
バス停データ
◆所在地:荒川区 ◆路線:都営バス[東42甲]系統他

みなさん、こんにちは。

「泪橋」と聞いて、すぐに『あしたのジョー』を思い出す人は、私と同世代(もしくはほんの少し上)といえるでしょう。丹下段平がジムを構えていたのが泪橋の下という設定で、作中での「泪」の意味は、社会に敗れ、人生に敗れた者が流すものといったニュアンスで捉えられていたかと思います。橋の下を流れていたのは、音無川の分流にあたる思川のはずですが、この川は大正期には暗渠となっていたので、橋も物語の時代設定より遥か以前に撤去されていたに違いありません。『あしたのジョー』は、あくまでもフィクションです。

東京駅から南千住へ向かうバスに乗り込むと、終点の南千住のひとつ手前のバス停が、泪橋です。明治通りと吉野通りの交差点が泪橋交差点で、明治通りがかつての思川の流路跡にあたります。古くは駒洗川とも呼ばれたこの流れは、三ノ輪で音無川から別れ、白鬚橋付近で隅田川に注いでいました。

吉野通りの道筋は、江戸時代には日光道中と呼ばれた旧日光街道でもあります。泪橋から北へしばらく歩くと、すぐ正面に南千住駅が見えてきますが、ちょうど常磐線の高架をくぐるあたりが、東海道鈴ヶ森とともに江戸の刑場として知られた、小塚原の地となります。このことから、泪橋は刑場へ向かう罪人が最後の別れに涙を流した場所としてその名があるといわれます。『解体新書』を記した杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らが刑死者の腑分けをしたのも、この小塚原刑場です。

(次回へつづく)

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最終更新日  2008.09.14 22:57:35
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