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バス停地名学のすすめ

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2009.10.04
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カテゴリ:品川区
(前回からのつづき)

大崎駅から2駅離れた目黒駅前の地で上大崎の地名に出会うことは、改めて考えると少々違和感があるかもしれません。大崎の地名由来は、大きな岬のように突き出た武蔵野台地の突端という地勢に因むようですが、地名発祥の頃の本来の大崎地区は、現在の上大崎や東五反田地区周辺を指したものといわれています。品川区の「角」のように北に飛び出した上大崎地区は、港区と目黒区の間に割って入る格好で、北端はほんの100メートルほどですが、渋谷区にも接しています。

バス停から反対側の歩道を目黒駅方向に少し戻ると、第144回「茶屋坂」の項で「さんま祭」会場としてご紹介した誕生八幡神社が見えてきます。樹齢250年から300年といわれる2本の大イチョウが目印で、都電時代を見つめてきた目黒通りのシンボルでもありますが、道路拡幅の度に3度も移植されたにも関わらず、堂々とした力強い枝振りは不変のようです。

上大崎交差点を白金方向に渡ると、左手には東京都庭園美術館と国立自然教育園の広大な森が広がっています。都心の一等地にこれだけの森が残された要因としては、この地の前身が江戸期の高松藩松平讃岐守下屋敷跡地を利用した陸海軍の火薬庫で、その後も皇室御料地となるなど、特殊な地域として周囲の都市化から切り離された場所だった経緯が挙げられます。白金長者の居館跡ともいわれる場所で、江戸期からの白金台の自然がほぼそのままに受け継がれている貴重な空間といえるでしょう。そういえば、上大崎電停も昭和初期の頃までは、元白金火薬庫前と称していました。

上大崎を発車したかつての都電5系統は、白金台町、日吉坂上と進み、清正公前で4系統と合流すると、その先は芝園橋までが4系統との重複区間となっていました。

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最終更新日  2009.10.04 11:20:22
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