書名
女の子たちと公的機関 ロシアのフェミニストが目覚めるとき [ ダリア・セレンコ ]
引用
女の子たちというのは、コミュニケーションと、冷え切った国家の内臓に巻きついて温めてあげる暖房のシステムのこと。もしも女の子たちが停止したり、仕事を中断したりしたら、いったい私たちに何が起きるのかはわからない。きっと私たちは寒さのあまり自分の席で眠り込んでしまって、そしてもう二度と目覚めないんでしょうね。そのほうが良くなるかもね。
親愛なる女の子たち、私たちには決死のストライキが必要だよ。生きていることが耐えがたくなったよ。
感想
ロシアのフェミニスト本。
詩のような寓話のような物語。
一人称であり「女の子たち」全員を主語にしているような。
韓国のチョン・セランの小説と雰囲気が似ていた。
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屋上で会いましょう [ チョン・セラン ]
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保健室のアン・ウニョン先生 [ チョン・セラン ]
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声をあげます [ チョン・セラン ]
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地球でハナだけ [ チョン・セラン ]
公的機関というのが現実の「組織」(ロシアの芸術系の運営組織は、捏造と変更の嵐で
、その犠牲になるのはいつも下働きの「女の子」たちである)であり、さらにいうと「国家」そのものでもあり。
そして、ここで言う「女の子」はすべての「女性的なもの」。
著者は、1993年ハバロフスク生まれ。ロシアの作家、詩人、フェミニスト、反戦活動家。
この物語と同様、図書館や美術館など国立の文化施設に勤め、実体験を元に、2021年本書を発表したのだという。
ウクライナ侵攻に対し「フェミニスト反戦レジスタンス」を組織。
2022年3月にジョージアに出国したという。
著者は、家庭内の暴力が(そして主にそれは女性への暴力が)、戦争へ繋がっているのだという。
家の中で行われる暴力を容認することは、戦争の武力行使を「やむを得ない」とすることと、同じ。
大義を掲げれば暴力が正当化されるのであれば、それは「理由をつければ・条件下で」OKになるということで、それを恣意的に解釈して小さな単位にしていって、組織で、家庭で、行われる。
この本の、上の引用部を読んでいて思った。
女は戦争の時には「産む」機能が重要視される。
産めよ増やせよ。兵隊を、戦力を、労働力を。
十数年育てて、送り出す。
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地図と拳 [ 小川哲 ]
で言っていた。
かわりの兵隊はいくらでも、召集令状を送る切手の値段分だけで補充されるのだと。
「女の子たち」は、国家の内臓。「男の子たち」は外側の皮膚だろうか。傷ついて血を流す?
じゃあ、もし女の子たちが止まって、動かなくなったら。
どうなるんだろうね。
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