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カテゴリ:夏目漱石
野上弥生子は大分生まれで、漱石門下の野上豊一郎と結婚していました。実家はフンドーキン醤油の創業家で、14歳の時に上京し、明治女学校に入学しています。 作家デビューは、漱石が紹介した「ホトトギス」掲載の『縁』で、以後、死去するまで作家として活躍しました。豊一郎を通じて、習作の『明暗』を漱石に見てもらいますが、「非常に苦心の作なり。しかしこの苦心は局部の苦心なり。したがって苦心の割に全体が引き立つ事なし(明治40年1月7日 野上弥生子宛て書簡)」で始まる丁寧な批評を送っています。 ※野上弥生子デビューのいきさつはこちら 野上弥生子は、漱石と会うことは少なく、ほとんとが夫の豊一郎から木曜会の話を聞いて、それを日記に書き留めました。残念ながら、その日記は未だに発見されていません。弥生子は、漱石の朝日新聞入社が決まった際、京都旅行に出かけました。八重子は、夫の豊一郎を通じてお土産に京人形をねだりました。しかし、豊一郎が預かった京人形は、安っぽいものだったのでがっかりしましたが、のちに深い感謝の念を抱いています。 『思い出二つ』という随筆に、弥生子は子供づれで漱石にあったことを綴っています。「これは長男がまだ五つか六つ位の頃であったと思う。私はこの子供を連れて先生をお訪ねした。早稲田の商科に通って、その近所の下宿にいた弟を訪ねる途中であった。併し幾ら近所まで序があったとはいえ、本統ならそんな子供づれでお邪魔しなくてもよい筈であったが、それには理由があった。私はパイロンがごく小さい時スコットに逢ったというような記事や、その他有名な人の自叙伝などで、当時の偉人たちを著者の幼児に見たというような記事に興味を持っていたので、その機会を利用して長男にも夏目先生を子供の時書斎で見たという記憶を持たせておきたかったのであった。 先生は彼の名前や年齢を優しく聞いて下すった。彼はそれを指で示した。「なぜ帽子をかぶっているんだ」。先生は仰しゃった。彼は糸織の小さい羽織に、よそ行きの、焦茶色したびろうどの帽子をかぶっていた。これは彼の大好きな帽子で、一度かぶると、家に入っても決して取らないのであった。それを話すと先生は笑った。 この子供は今は高等学校の生徒である。あの時の夏目先生を覚えているかと尋ねると彼は答える。「小さい叔父さんと、雀の焼いたのを食べたことだけは覚えてる」。私たちはその日雑司ヶ谷でおそい昼御飯をたべたのであった。幼い彼に取っては私が記憶させておこうと企てた夏目先生よりは、焼雀の方が何十倍か感銘が強かったのだと思うことが、この話の出る度にいつも私を微笑させる」と書いています。 漱石への感化を望む弥生子の目論見は水泡に帰してしまいました。それほど、雀焼きは弥生子の子供の心を捉えたようです。 『夏目先生の思い出』という随筆にも、この日のできごとが書かれています。「わたしたちは先生のところからその下宿に廻り、三人で雑司ケ谷の雀焼きを食べに行く手筈になっていたのであった。先生は子供の名前と年齢をたずねてくだすった。子供はそれにちゃんと返事が出来た。ところが子供が帽子をかぶったままで済まして坐っているのが先生の注意をひいた。先生はなぜ帽子をとらないのかときいた。わたしは、この帽子がひどく気に入って、部屋の中でも決してとらないのだと話したら、先生ははっはっとおもしろそうに笑った。葡萄いろの、同じ紐飾りのついた、びろうどの帽子であった。この息子の帽子は、先生がお亡くなりになったあとまで残っていたので、それを見るとあの美しい秋晴れの日の、機嫌のよかった先生を思い浮べ、当分涙がさしぐんだ。思えばこれがわたしの先生にお目にかかった最後であったようである」 江戸時代から、神社の参道では雀の「やきとり」が売られていました。米作の妨げになる雀を焼いて、豊作を願う神の供物とし、参詣の往き帰りに、雀を串に刺したまま売ったのです。京都の伏見稲荷や雑司ヶ谷の鬼子母神などで、雀の「やきとり」は評判となりました。 若月紫蘭が著し、明治44年に発刊された『東京年中行事』の「雑司ヶ谷鬼子母神会式」には「このお祭の名物というのは、平生からも名物である小鳥の雀焼の外には、里芋の田楽、紙製の蝶、萱の穂製の梟などがそれで、何ずれも境内に至るまでの長い道の両側で盛んに客を呼んでいる」とあります。
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お久しぶりです。東京ピクニッククラブのピクニシャンです。広重の花見の絵を見て「この串は何の者だろう」と思って検索していたら土井中さんの頁に行き着きました。お元気そうで何よりです。またお会いできる機会があれば嬉しく存じます。
https://aucfree.com/items/e259402297 (2021.05.04 10:33:39)
ピクニシャンさんへ
ご無沙汰しております。 大島の件では色々とありがとうございました。 一応9月予定で、 自作を電子書籍化しようと目論んでいて、 漱石・子規関係の著作と、 併せて小説にもチャレンジしようとしています。 まだ、今まででした本も、この際電子化しようと、 バタバタした日を過ごしていたため、 コメントに目を通すことをしていなかったのです。 申し訳ございませんでした。 これからも頑張りますので、これからもよろしくお願いいたします。 (2021.06.13 10:22:53) |