2538550 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

aどいなか

aどいなか

カレンダー

バックナンバー

2024.05
2024.04
2024.03
2024.02
2024.01

カテゴリ

日記/記事の投稿

コメント新着

ぷまたろう@ Re:子規と木曽路の花漬け(09/29) 風流仏に出でくる花漬は花を塩漬けにした…
aki@ Re:2023年1月1日から再開。(12/21) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
LuciaPoppファン@ Re:子規と門人の闇汁(12/04) はじめまして。 単なる誤記かと拝察します…
高田宏@ Re:漱石と大阪ホテルの草野丈吉(04/19) はじめまして。 大学で大阪のホテル史を研…
高田宏@ Re:漱石の生涯107:漱石家の書生の大食漢(12/19) 土井中様 初めまして。私は大学でホテル…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2019.09.10
XML
カテゴリ:夏目漱石
   温泉湧く谷の底より初嵐  漱石(明治32)
 
 漱石は熊岳城温泉へ明治42年9月14日〜16日に逗留し、9月16日午後には熊岳城を汽車で出発し、営口を経て17日の夜に湯崗子(とうこうし・タンカンツー)温泉へ着きました。
 夜の9時頃に駅に着いたものですから、真っ黒な荒野で虫の音を聞き泣かせら、提灯を下げた女中の案内で宿へ向かいました。西洋風の建物の「金湯ホテル」です。
 この建物は、ロシアのクロパトキン将軍が満州軍の療養地にしていたところでした、ここには温泉が流れ込む池があり、温泉はラジウムを含む単純泉でした。漱石らはこのホテルの別館に泊まったようです。
 
 遥向うに灯が一つ見える。余が歩いている路は平らである。灯はその真正面に当る。あすこへ行くんだろうと推測して星の下を無言に辿った。今日の午は営口で正金銀行の杉原君の御馳走を断った。晩は天春君(あまかすくん)の斡旋ですでに準備のできている宴会を断った。そうして逃げるように汽車に乗った。乗る時橋本にこの様子じゃ千山(せんざん)行は撤回だと云った。実際撤回しなければならないほど、容体が危しくなって来た。ただ向うに見える一点の灯火が、今夜の運命を決する孤つ家であると覚悟して、寂寞たる原を真直に横切った。原のなかには、この灯火よりほかに当になるものは一つも見つからないのだから心細かった。宿屋はたった一軒かと聞いたら、案内がええと答えた。湯崗子は温泉場だと橋本のプログラムの中にちゃんと出ているのだから、温泉がこの茫々たる原の底から湧いて出るのだろうとは、始めから想像することができたが、これほど淋しい野の面に、ただ一軒の宿屋がひっそり立っていようとは思いがけなかった。
 そのうちようやく灯のある所へ着いた。平家作の西洋館で、床の高さが地面とすれすれになるほど低い。板間ではあるが無論靴で出入をする。宿の女は草履を穿いていた。遠くから見たと同じように浮き立たない家であった。造作のつかない広い空家へ洋灯(ランプ)を点して住っているのかと思った。這入るとすぐの大広間に置いてあったオルガンさえ、先の持主が忘れて置いて行ったものとしか受取れなかった。暗い廊下を突き当って右へ折れた翼(ウイング)の端の室へ案内された。中を二つに仕切ってある。低い床には、椅子と洋卓(テーブル)と色の褪めた長椅子とが置いてあった。高い方は畳を敷いて、日本らしく取り繕ってあった。ちょうど土間から座敷へ上るようにして、甲から乙に移る構造である。余はいきなり畳の上に倒れた。三四十分の後膳が出た。橋本がしきりに起きて食えと勧めたが、ついに起きなかった。第一食卓に何が盛られたかをさえ見なかった。眼を開ける勇気すら無かったのである。(満韓ところどころ 42)
 

 
 湯崗子温泉は、湧出温度が73.5度と高めで、ややラジウムを帯びた無色透明のアルカリ泉です。リュウマチ,湿疹、ヒステリー、胃腸カタル、婦人病などに効果があります。この温泉も古くからあり、唐の太宗李世民が高句麗への遠征のおりに、傷兵を療養させたという伝説が残っています。
 この温泉が広く知られるようになるのは、漱石の時代より遅れて昭和7
(1932)年の溥儀の滞在です。満洲国執政となることを承諾した溥儀は、旅順にむかう途中、この湯崗子に滞在しています。
 
 手拭を下げて風呂に行く。一町ばかり原の中を歩かなければならない。四方を石で畳上げた中へ段々を三つほど床から下へ降りると湯泉に足が届く。軍政時代に軍人が建てたものだからかなり立派にできている代りにすこぶる殺風景である。入浴時間は十五分を超ゆべからずなどという布告めいたものがまだ入口に貼付けてある通りの構造である。犯則を承知の上で、石段に腰をかけたり、腹這に身を浮かしたり、頬杖を突いて倚りかかったり、いろいろの工夫を尽くした上、表へ出て風呂場の後へ廻ると、大きな池があった。若い男が破舟(やれぶね)の中へ這入ってしきりに竿を動かしている。おいこの池は湯か水かと聞くと、若い男は類稀(たぐいまれ)なる仏頂面をして湯だと答えた。あまり厭な奴だから、それぎり口を利くのをやめにした。岸の上から底を覗くと、時々泡のようなものが浮いて来る。少しは湯気が立ってるかとも思われる。実は魚がいないかと、念のため聞いて見たかったのだけれども、相手が相手だから歩を回らして宿の方へ帰った。後で、この池に魚が泳いでいる由を承知してはなはだ奇異の思いをなした。その上ここには水が一滴も出ないのだと教えられたときには全く驚いた。
 驚いたことはまだある。湯から帰りがけに入口の大広間を通り抜けて、自分の室へ行こうとすると、そこに見慣れない女がいた。どこから来たものか分らないが、紫の袴を穿いて、深い靴を鳴らして、その辺を往ったり来たりする様子が、どうしても学校の教師か、女生徒である。東京でこそ外へさえ出れば、向うから眼の中へ飛び込んでくる図だが、渺茫(びょうぼう)たる草原のいずくを物色したって、斯様な文采は眸に落ちるべきはずでない。余はむしろ怪しい趣をもって、この女の姿をしばらく見つめていた。(満韓ところどころ 44)
 
 漱石の日記には、次のように書かれています。
 
十七日〔金〕
 朝橋本杉本氏等小寺牧場に行く。余は市街を見る。主人が馬車で案内をする。支那町は臭し。看板は金字にて中には大変高きがあり。千円位費やす由。Ferry boatにて潦河を横ぎる。濁流際限なし。サンパンの机。三千噸位の船は自由に入る。帰りにはサンパンに乗る。防岸工事。葭を使う。結氷の方浚渫出来る。大倉組の豆粕会社を訪う。営口、大連の豆荷は大した差還なし。倉田氏に逢う。屋根に上りて営口を見る。支那家屋の屋根は往来の如し。回々教の寺だという。赤く塗った塔の如きもの見ゆ。牛島氏芝居を見ろといって連れて行く。未だ開場でない。Stallはtable椅子。桟敷は(階段の絵)随分広し。舞台は前へ突き出している。登場、下場の二口あり。芝居の後ろへ牛島君が出て、いや女郎屋だといって却ってくる。錬瓦の低い長屋の如きもの横断面が従来に面している。その長屋の両方の間を這入ると左右が房になっている。その中の一人がまあ御掛けなさいといった。それから本当の女郎町を見る。町の入口は並んでいる家は大抵前と同然也。這入って左の門を這入ると。右に房が三つある。一番は幕が低れている。二番には女が三人寝ていた。その真中の一人は美くしかった。小さい足を前へ出して半分倚りかかっていた。その隣の室から絃歌の声が出る。覗いて見た時に恐くなった。正面にtableがあって、その右に真黒な大きな顔の支那人が一生懸命を声を出して拍子木のようなものを左へ持ち右に筮竹のようなものを一本持ってtableをたたく。tableの前に十四五の女が立って歌っている。盲目だか何〔だか〕異様の面をした奴が懸命に胡弓を摺っていた。tableの左方には女が三人並んでゐた。その部屋の前の部屋では良真中に卓を置いて汚い丼を置いて二三人食っている。何事か分らず。
 先刻から腹痛。十二時半に杉原氏へ行く約束があるのを断わる。宿へ飾って寝る。三時頃杉原氏橋本と来る。約束故支度をして倶楽部へ行って演話をする。くらぶ軍政時代に造りたるもの比較的立派なり。約一時間の後宿に帰りてまた寝る。橋本五時過帰る。すぐ立つ。杉原、天春、領事代理送らる。清林館は甚だ丁寧親切にて設備の行き届きたる宿也。夜九時湯崗子着。気分悪く仕方なし。寂寞たる原野のうちに一点の燈光を認む。これが金湯ホテルである。
 虫声喞々の間を行く。着。西洋館なり。裸かの床の上を行く。広間に椅子がある。barの如き茶や何かを作る処がある。それを通り越すと左右が部屋である。部屋は一尺許り高い。そこへ草履を脱いであがる。余等の部屋は二室より成る。一室には絨毯table、ソファー、椅ありて、floorと同じ高さなり。一部は一尺許かりの階段ありてそれを上ると畳が敷いてある。壁は白く、所々汚れたり。夜兵真紅の支那緞子。湯に入る。提灯をつけて下女が案内をする。暗い中を一町程行くと別館がある。湯壺は三つある。段を二三尺下りて石でたたき上げたるもの少し熱し。心持あしき故飯を食わず葛湯を飲んで寝る。便通大いに心地よし。
 
(十八日)
 朝。千山行を見合せて静養す。橋本以下騾馬を駆り行く。馬驚ろいて乗せず。目隠しをする。漸くのる。鉄砲を肩にさげた支那人が二人立って見ている。満目粛々遠い山と近き岡を除いては高梁の渺々として連なるのみ。しかも宿の周囲は一面の平野なり。三頭の馬をこの平野のうちを行くうちに段々高梁の間に隠れた。宿のもの曰く乗るときと下りる時は吃度目を隠すがいい。危険だからと。
 池あり。湯也。この辺に水なし。池の湯に魚あり。奇妙な所なり。
 ゆるい草山に馬が点々いる。静。室の周囲に虫の声夥し。
 午飯より四時頃まで室中閑坐静甚し。入浴。晩餐に鶏のすき焼を命ず。夜に入る。下女報じて曰く今支那人を提灯をつけて迎に出しました。少時また来り報じて曰く灯が見えます。屋根に出て見ると昼の如き光が暗い中に揺れて来た。八時頃橋本等帰る。
 
十九日〔日〕
 快晴。八時半起床。入浴。甚だ愉快。
 
「湯崗子温泉」を田山花袋著『温泉めぐり』から見てみましょう。
 何と言っても、満洲にある湯崗子の温泉はすばらしいものだ。ああした温泉は本州の何処にもないと言って差支ない。あの陶器で張った浴槽、ピンと錠の下りる浴室、いかにも貴族的である。泉質はアルカリで透明である。大石橋と鞍山との間に位置していて、千山への入口になっている。しかしあたりの風景は単調で、赤ちゃけた丘陵ばかりなのは遺憾である。で、それを補うために、池を掘ったり、築山をつくったりしているが、その池にボウトを浮べたり何かすることも出来るようになっているが、要するに人工なので、そう大したものにはならない。たしか杜若なども咲いていたと思っている。建物が三つにわかれていて、一等、二等、三等という形になっている。一等で間代が八、九円か
ら十二円くらいである。食物は別である。茶代と言ったようなものは召仕のものに一割のチップをやれば好い。召仕も温泉場の女中と言うよりも、貴族的な小間使と言ったような形をしている。あそばせ言葉などをもつかっている。何となく変だ。何でもこれが満鉄の重役の好みだということである。その重役の意を受けて此処の名高い女将がそういう風に教育しているのであるそうである。美しい上品なメイドが多い。(田山花袋 温泉めぐり)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019.09.10 19:00:07
コメント(0) | コメントを書く
[夏目漱石] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.