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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.01.24
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カテゴリ:夏目漱石
   道服と吾妻コートの梅見哉  漱石(明治32)
 
 漱石は『三四郎』に「吾妻コート」を登場させています。羅沙やセルなどの光沢のある西洋生地でつくられた和服用の婦人長外套で、明治19年(1886)に白木屋呉服店から発売されました。基本的なデザインは前にフラップが付いている「道行」や「被布」を踏襲し、フォーマルな雰囲気を出していますが、洋服寺を使用することで、従来の和服とは異なる雰囲気を醸し出したものでした。また、裏地には派手な色が使われ、袖口や身八ツ口から少しその色を覗かせるのが粋とされたのでした。
 

 
 石井研堂『明治事物起原』には「明治三十年十一月刊行の『都の花』に『吾妻コートと名づけたるもの、四五年以来流行し、今日この頃は、老たるも若きも、婦人の上着るとして、無くてはならぬものとなりしこと、男子の二重廻しの如く、ショールは、全くすたれて、名残を車の膝かけに留めたり」、同三十二年一月号にまた『吾妻コートめっきり廃れて、またショールをかつぐ』とあり。しかし、大正の末期、コートはなお大勢力を有せり」とあります。
 
 忽然として会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世へ帰る。美禰子は終りから四番目であった。縞の吾妻コートを着て、うつ向いて、上り口の階段を降りて来た。寒いとみえて、肩をすぼめて、両手を前で重ねて、できるだけ外界との交渉を少なくしている。美禰子はこのすべてにあがらざる態度を門ぎわまで持続した。その時、往来の忙しさに、はじめて気がついたように顔を上げた。三四郎の脱いだ帽子の影が、女の目に映った。二人は説教の掲示のある所で、互いに近寄った。(三四郎 12)
 
 女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチが三四郎の顔の前へ来た。鋭い香りがぷんとする。(三四郎 12)
 
 また、同じように「吾妻」がつくものに「吾妻下駄」もあります。こちらは畳表をつけた薄歯の婦人用下駄です。
 
 女の話し声がする。人影は二つ、路の向う側をこちらへ近づいて来る。吾妻下駄と駒下駄の音が調子を揃えて生温く宵を刻んで寛かなるなかに、話し声は聞える。
「洋灯の台を買って来て下さったでしょうか」と一人がいう。「そうさね」と一人が応える。「今頃は来ていらっしゃるかも知れませんよ」と前の声がまたいう。「どうだか」と後の声がまた応える。「でも買って行くとおっしゃったんでしょう」と押す。「ああ。――何だか暖ったか過ぎる晩だこと」と逃げる。「御湯のせいでござんすよ。薬湯は温ったまりますから」と説明する。(虞美人草 14)





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最終更新日  2020.01.24 19:00:06
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