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飯蛸の頭に兵と吹矢かな 漱石(明治29) 蟹に負けて飯蛸の足五本なり 漱石(明治29) 飯蛸の一かたまりや皿の藍 漱石(明治41) 飯蛸や膳の前なる三保の松 漱石(明治41) 飯蛸と侮りそ足は八つあると 漱石(明治41) 明治44年8月15日、漱石は新和歌浦を見物した後、県会議事堂で『現代日本の開化』と題して講演を行ないました。講演後の宴会に出ますが、風雨がはげしくなり、漱石らは和歌浦に戻らず新和歌浦に泊まりました。和歌山の「風月庵」での有志の慰労会で名物の蛸をたくさん食べています。 妻・鏡子の『漱石の思い出』には次のように書かれています。 そのころ「大阪朝日」の社員でした長谷川如是閑さんなどがお見舞いにおいでになって、どうも夏目くんは不養生だ、この間和歌ノ浦で飯蛸をしきりにたべるから、そんな不消化ものをたべてだいじょうぶですかと心配して注意してあげても、だいじょうぶだといってはしきりに喰べるんだらということに、夏目も寝ながら、ナーニ、飯蛸のせいじゃないよと抗議を申し込んでおりました。(夏目鏡子 漱石の思い出 46 朝日講演) ただ、この季節なので、これはイイダコではなく、タコの卵です。袋に入った状態でメスのお腹に収まり、生は透明ですが、茹でると白くなります。僕は一回、松山のミシュラン一つ星の店で食べたことがありますが、とてもクリーミーで、今までに食べたことのない濃厚な味わいでした。
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最終更新日
2021.04.24 19:00:09
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