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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.05.28
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カテゴリ:夏目漱石
 
   吹井戸やぼこりぼこりと真桑瓜  漱石(明治29)
 
 マクワウリは、漱石の作品には登場しませんが、「瓜」、特に「瓜実顔」は『虞美人草』での藤尾の顔の形容、『草枕』では那美の要望の描写、『夢十夜』の「第一夜」に登場する黒い目の女の顔貌に登場します。
 
 赤松の二抱を楯に、大堰の波に、花の影の明かなるを誇る、橋のの葭簀茶屋に、高島田が休んでいる。昔しの髷を今の世にしばし許せと被る瓜実顔は、花に臨んで風に堪えず、俯目に人を避けて、名物の団子を眺めている。薄く染めた綸子の被布に、正しく膝を組み合せたれば、下に重ねる衣の色は見えぬ。ただ襟元より燃え出ずる何の模様の半襟かが、すぐ甲野さんの眼に着いた。(虞美人草 5)
 
 この女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨の瓜実形で、豊かに落ちつきを見せているに引き易かえて、額は狭苦しくも、こせついて、いわゆる富士額の俗臭帯びている。のみならず眉は両方から逼って、中間に数滴の薄荷を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。(草枕 3)
 
 腕組をして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますという。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔かな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきりいった。自分も確かにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いて見た。死にますとも、といいながら、女はぱっちりと眼を開あけた。大きな潤いのある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮かに浮かんでいる。(夢十夜 第一夜)
 
 何れにしても、漱石は下膨れの瓜実型の顔が大好きなのです。
 
 漱石は、明治42年頃、漱石山房の近くにあった鰹節屋のお内儀さんに惚れたことがあります。3月14日の日記には「今日も曇。きのう鰹節屋の御上さんが新らしい半襟と新らしい羽織を着ていた。派手に見えた。歌麿のかいた女はくすんだ色をしている方が感じが好い」と書き、4月2日の日記では「散歩の時鰹節屋の御神さんの後ろ姿を久振に見る」、翌日には「鈴木禎次曰く。夏目は鰹節屋に惚れる位だからきっと長生をすると。長生をしなくっても惚れたものは惚れたのである」と書かれています。しかし、漱石は4月11日の鈴木三重吉への手紙で「今日散歩の帰りに鰹節屋を見たら亭主と覚しきもの妙な顔をして小生を眺め居候。果して然らば甚だ気の毒の感を起し候。その顔に何だか憐れ有之候。定めて女房に惚れていることと存じ、これからは御神さんを余り見ぬことに取極め申候」と送り、鰹節屋のお内儀さんへのプラトニック・ラブに終止符を打ちました。
 漱石が鰹節屋のお内儀に惚れたという噂は、門人たちにあっという間に広まりました。中でも興味を抱いたのが、森田草平でした。この評判のお内儀さんを拝見しようと思い、鰹節屋の前を通るたびに店内を覗き込見ますが、店には出ていません。ようやくその姿を眺めた時には、帳場が暗過ぎて、どのような姿形をしていたかが判然としませんでした。ただし、「瓜実顔のしとやかな、どこか弱々しい所のある女」だったと認識しています。
 
 漱石の次男・伸六は『父・夏目漱石』「父の家族と道楽の血」で「その頃、新橋に、ぼんた、おえんと称する名妓がいて、どうも感じが、絵葉書屋の店頭に飾ってある、このおえんの顔に似ていたようだとも語っている。もっとも、ぽんたの方は、当世風の丸顔が、父の趣味に合わなかったせいか、帝国座で公演された『人形の家』に招待された時、偶然来合わせたこのぽんたを見て、父は、『存外よくない女である』と、日記のうちに書き込んでいる。つまり、父の嗜好に合った顔立は、むしろ古風なおえんの容貌であって、現に、そのブロマイドをわざわざ買い求めて来た父は、これを机上に飾って、時折疲れた眼を楽しませていたのである」とあります。
 明治44年(1911)11月28日、漱石は文芸協会から招待を受け、帝国劇場で上演されるイプセンの芝居『人形の家』を見に行き、そこで評判の新橋芸者ぽん太を見かけたのでした。ぽん太は丸いタヌキ顔で、「西に大阪宗右衛門町の富田屋八千代、東に新橋のぽん太」といわれた新橋の名妓です。才能と美貌で評判になり、絵葉書や明治屋のビール広告にも使われました。略奪愛の形で写真家の鹿島清兵衛の後指導で家計を助けました。森鷗外は、ぽん太夫婦をモデルにして小説『百物語』を書いています。
 
 このぽん太と仲が良かったのがおえんです。おえんは、鹿島清兵衛の弟・清三郎の妾になりました。おえんは下膨れの瓜実顔で、まさしく漱石の好みのタイプです。





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最終更新日  2021.05.28 19:00:07
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