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カテゴリ:夏目漱石
炉開きに道也の釜を贈りけり 漱石(明治28) よく聞けば田螺なくなり鍋の中 漱石(明治29) 春の雨鍋と釜とを運びけり 漱石(明治33) 鍋提げて若葉の谷へ下りけり 漱石(大正3) 明治28年の句の「道也」は、『野分』に登場する道也先生ではなく、京都の釜師・西村道也のことです。織田信長の御用釜師として活躍し、天下一の称号を与えられた釜師で、桃山時代以前に活躍しました。「道也の釜」は肌が荒い作りで変わった形のものが多いといいます。句では、炉開きにちょっと変わった「道也の釜」を送ったという意味になります。 明治29年の句は、鍋の中に入れたタニシが泣いているという句です。かつては、田がうるさくなるのは変えるならぬタニシが泣くと信じられていて、数多くの句があります。漱石のこの句は、一茶の「鳴く田螺鍋の中ともしらざるや」の類句になります。また、タニシが成長すると蛍になるともいわれていました。 明治33年の句は、漱石の北千反畑町の家への引っ越しを詠んだ句でしょうか。雨の日に釜と鍋を運んでいるといった風情。着物を運ぶよりも鍋と釜を運ぶ方が、質素で俳味が感じられます。 大正3年の句は、みずみずしい若葉の茂る谷へ下りていき、鍋で清らかな渓谷の水を組んでいる風景が目に浮かびます。青葉としなかったのは「若葉」の方が生命感を与えるからでしょうか。
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最終更新日
2021.10.05 19:00:06
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