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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.01.16
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カテゴリ:正岡子規
 明治34年11月6日、子規は倫敦の漱石へ宛て、手紙を出しました。
 「僕はもーだめになってしまった、毎日訳もなく号泣しているような次第だ、それだから新聞雑誌へも少しも書かぬ。手紙は一切廃止。それだから御無沙汰してすまぬ。今夜はふと思いついて特別に手紙にかく」という前置きです。
 そして、唐突に「倫敦の焼き芋の味はどんなか聞きたい」と質問を投げかけます。
 続いて「僕はとても君に再会することはできぬと思う。万一できたとしてもその時は話もできなくなってるであろー。実は僕は生きているのが苦しいのだ。……書きたいことは多いが苦しいから許してくれ玉へ」と書かれていました。
 子規は、親しい人であればあるほど、愚痴をこぼします。漱石宛ての手紙には、その場限りと注文をつけながらも愚痴がいっぱい溢れてくるのです。
 この手紙を紹介した『吾輩は猫である 中篇自序』に、「憐れなる子規は余が通信を待ち暮らしつつ、待ち暮らした甲斐もなく呼吸を引き取ったのである」とありますが、それは作家の嘘です。漱石は十二月十八日に手紙を返しています。当時の郵便事情では、日本とイギリスの間で三十日以上もかかったというので、すぐに返事の手紙を書いたと思われます。
 
 僕はもーだめになってしまった、毎日訳もなく号泣しておるような次第だ、それだから新聞雑誌へも少しも書かぬ。手紙は一切廃止。それだから御無沙汰してすまぬ。今夜はふと思いついて特別に手紙をかく。いつかよこしてくれた君の手紙は非常に面白かった。近来僕を喜ばせたものの随一だ。
 僕が昔から西洋を見たがっていたのは君も知っているだろー。それが病人になってしまったのだから残念でたまらないのだが、君の手紙を見て西洋へ往ったような気になって愉快でたまらぬ。もし書けるなら僕の目の明いてる内に今一便よこしてくれぬか(無理な注文だが)。画はがきもたしかに受け取った。倫敦の焼芋の味はどんなか聞きたい。
 不折は今巴里にいてコーランのところへ通うておるそうじゃ。君に逢うたら鰹節一本贈るなどというていたが、もーそんなものは食うてしまってあるまい。
 虚子は男子を挙げた。僕が年尾とつけてやった。
 錬卿死に、非風死に、皆僕より先に死んでしまった。
僕はとても君に再会することはできぬと思う。万一できたとしてもその時は話もできなくなってるであろー。実は僕は生きているのが苦しいのだ。僕の日記には『古白曰来』の四字が特書してあるところがある。
 書きたいことは多いが苦しいから許してくれたまえ」(正岡子規 明治34年11月6日 漱石宛書簡)
 
(前略)日曜日に「ハイド、パーク」などへ行くと盛に大道演説をやっている。こちらでは「イエス、キリスト」の神よ「アーメン」先生が跛枯声で口説いていると、五、六間離れて無神論者が怒鳴っている。「地獄? 地獄とは何だ。もし神を信ぜん者が地獄に落ちるなら、ヴォルテールも地獄にいるだろう、インガーソルも地獄にいるだろう、吾輩はくだらぬ人間の充満している極楽よりもかかる豪傑の集っている地獄の方が遥にましだと思う」。僕の理想的アマダレ演説よりもよほど気焔が高い。これを称して鼻息あらき演説というので、これも雄弁法などに見当らない形容詞のつく使いようだ。この無神論者の向側にHuman(i)tarianの旗を押立てて「コムト」の仮色を使っている奴がある。その隣ではしきりに「ハックスレー」の説を駁している。その筋向にシナビた先生がからだに似合ない太い声を出して「諸君予は前年日本に到り、かの地にて有名なるマーキス、アイトー(伊藤侯爵のこと)に面会して同氏が宗教に関する意見を親しく聴き得たのであります……」。どれもこれも善い加減な事ばかり述立てている。
 先達「セント、ジェームス、ホール」で日本の柔術使と西洋の相撲取の勝負があって二百五十円懸賞相撲だというから早速出掛て見た。五十銭の席か売切れて這入れないから一円二十五銭奮発して入場仕ったが、それでも日本のつんぼ桟敷見たような処で向の正面でやって居る人間の顔などはとても分らん。五、六円出さないと顔のはっきり分る処までは行れない。すこぶる高いじゃないか、相撲だから我慢するが美人でも見に来たのなら壱円二十五銭返してもらって出て行く方がいいと思う。ソンナシミッタレタことは休題として肝心の日本対英吉利の相撲はどう方がついたかというと、時間が後れてやるひまがないというので、とうとうお流れになってしまった。その代り瑞西(スイス)のチャンピヨンと英吉利のチャンビヨンの勝負を見た。西洋の相撲なんてすこぶる間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立をしても両肩がピタリと土俵の上へついてしかも一、二と行司が勘定する間このビタリの体度を保っていなければ負でないっていうんだから大にらちのあかない訳さ。蛙のようにヘタバッテいる奴を後ろから抱いて倒そうとする、倒されまいとする。坐り相撲の子分見たような真似をしている。御蔭に十二時頃までかかった。ありがたき仕合である。翌日起きて新聞を見ると、夕十二時までかかった勝負がチャンとかいてあるには驚いた。こっちの新聞なんて物はエライ物だね。
 僕はまた移ったよ。五乞閑地不得閑、三十五年七処移〔正たひ閑地を乞うて閑を得ず、三十五年七処に移る〕なんと三十五年に七度居を移す位なことでは自慢にゃならない。僕なんか英吉利へ来てからもう五返目だ。今度の処は御婆さんか二人、退職陸軍大佐という御爺さん一人まるで老人国へ島流しにやられたような仕合さ。この御婆さんが「ミルトン」や「シェクスピヤー」を読んでいておまけに仏蘭西語をペラペラ弁ずるのだからちょっと恐縮する。「夏目さんこの句の出処を御存知ですか」などと仰せられることがある。「あなたは大変英語が御上手ですがよほどおちいさい時分から御習いなすったんでしょう」などと持上けられたこともある。人あに自ら知らざらんや。冗談言っちゃいけないと申したくなる。こちらへ来てお世辞を真に受けていると大変なことになる。男はさほどでもないか、女なんかは、よく"Wonderful "などと愚にもつかないお世辞をいう。下手な方に"Wonderful"ですかと皮肉をいうこともある。(中略)今や濃霧窓に迫って書斎昼暗く時針一時を報ぜんとして撫腹食を欲することしきりなり。この美しき数句を千金の悼尾として筆を間く。十二月十八日。(夏目漱石 明治34年11月18日 子規宛書簡)
 
 これらの手紙は、二人が交わした最後の手紙になりました。





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最終更新日  2022.01.16 19:00:07
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