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カテゴリ:夏目漱石
大正2年6月18日、漱石は津田青楓に宛てて、「小川千甕先生の画を御送り被下難有候。どうも旨いですね。だれの画を見ても感心の外なく、カツ存外な思いも寄らない所をかきます。こうなるとあらゆるものに感服し、敬服し、歓喜することが出来て、甚だ愉快です。私はあれから二三枚妙なものを画きました。そのうち―二枚必ず賞められなければ承知の出来ないもので、いつか序の時また見て下さい。右御礼かたがた御報まで」という手紙を送りました。 小川千甕は、京都生まれの画家で、芸術の出発は仏画師として15歳で仏画師・北村敬重の弟子となり日本画を学びます。それから、20歳になると洋画家の浅井忠に師事し、洋画を学んでいます。その後、京都市立陶磁器試験場の技手として、陶器の絵付けをしていました。どういう縁かはわかりませんが、雑誌『ホトトギス』の挿絵なども手がけています。 28歳で上京。『太陽』などに挿絵や漫画を発表すると、人気が出ます。 そうして、漫画で貯めた金で大正2年から3年にかけてヨーロッパに遊学し、帰国後展覧会を開いています。 漱石がもらった絵は、千甕が要項費用を捻出するために、手持ちの絵を安く売ったものでしょう。 その後、日本画に転向し、「南画」を多く発表、また俳句とのコラボレーションも楽しんでいます。 漱石が好んだのは、こうした嗜好のテイストがよく似ていたからでしょうか。
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最終更新日
2022.06.23 19:00:06
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