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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.07.30
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カテゴリ:夏目漱石
 岩波書店が誕生したのは大正2(1913)年のことでした。創設者は33歳の岩波茂雄で、華厳の滝に身を投げた藤村操の同級生に当たります。漱石は、一高時代に茂雄を教えていました。
 茂雄は、東京帝国大学哲学科選科を卒業すると、神田高等女学校で教師になりますが、自信を失して古本屋を開いたのでした。
 茂雄は、古本の正価販売を行いました。当時の古着屋や古本屋は正礼など明示しておらず、その場での顧客との交渉で値段を決目ていました。ところが、岩波書店の古本は正礼販売だったので、最初は客とのトラブルもたえなかったようです。
 
 茂雄は、漱石の木曜会にも顔を出しました。茂雄は店の看板を漱石に揮毫してもらおうと考え、安倍能成とともに「漱石山房」に伺います。すると、漱石はその場で快く書いてくれました。茂雄はこれを看板にして屋上に掲げますが、関東大震災で焼失してしまいました。続いて、茂雄は「先生の本を出版させてください」といい出します。それまで、漱石の著作は春陽堂と大倉書店から出されていましたが、そこへ、ずぶの素人が突然に出版を申し込んだのです。重ねて茂雄は、出版費用も借金したいといい出します。頼まれた漱石も、さぞかし困惑したことでょうが、漱石は岩波の頼みを聞き入れます。感激した茂雄は、最高の材料を使って立派なものをつくろうとしますが、漱石に行き過ぎをたしなめられてもいます。
 漱石は、「別に君を疑うわけではないが、細君がああまでいうのだから、契約は契約としておいてくれたまえ」といい、書類と引換えの形で株券を渡したといいます。しかも、漱石は自分の方からほとんど自費出版のような形で刊行することで話をつけました。
 
 妻の鏡子は、このことを『漱石の思い出』に「お貸しするのは差し支えないのですが、ともかく三千円といえば私どもにとっては大金です。なるほど夏目にも岩波さんにも当事者どうし双方まちがいがなければ何のことはないのでしょうが、人間のことですからいつ何時どういうことがないとも限らない。その時になって、万一おもしろくないことなどがあっては困るから、ともかくどちらかがかけても第三者にもわかるような契約をしていただきたいと、私が株券を持って出て、岩波さんを前にしてちょっと開きなおった形で申したものです」と書いています。
 
 茂雄は、日本の活字文化そのものの向上を願っていましたから、自ら出版事業に乗り出したいと考えていたました。大正3年、漱石が『こころ』を朝日新聞に連載していた頃、『こころ』の出版を岩波書店でやらせてくださいと、頼み込みます。ところが、茂雄は出版の費用も、漱石からの借金をあてにしていたのでした。
 そのため、『こころ』は、漱石の自費出版とし、費用はいっさい漱石が持ち、出た利益から岩波書店に謝礼を支払うことにしました。紙代から印刷代、製本代といった資金は、すべて漱石が持ちました。
 当初から、書物の装丁に興味を持っていた漱石は、自らデザインを買って出ます。漱石が橋口貢から送られた中国の拓本の文字を、朱の地に白く抜きました。このデザインは、今も『漱石全集』に使われ続けています。
『こころ』の装丁は、漱石自身もたいへん気に入り、売り上げも上々の滑り出し。岩波書店はこれを契機に、出版業に本格的に乗り出すことができるようになりました。
 漱石は、それ以降の単行本の出版を、すべて岩波書店に任せています。
 





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最終更新日  2022.07.30 19:00:06
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