/// 7/19~春来川の遊歩道で『湯村温泉懐古写真展』が始まります ///
昔懐かしい湯村温泉が見つかります。明日、19日~湯村温泉の真ん中を流れる春来川沿いの歩道で、『湯村温泉懐古写真展』が始まります。今年10月から12月歩道整備が予定されており、先だって昔の湯村温泉の写真を展示する事になりました。住民が保存していた懐かしい写真を鑑賞しながら、温泉街を散策出来ます。写真はアルミ板に写真をプリントしたもので、荒湯から薬師湯まで間に、50枚を展示、昔の風景がよみがえります。大正7年4月3日浴場新館の落成式】町をあげての祝賀となった。招待客は197人、宣伝対策のためか新聞社の招待が8社10人。浜坂駅湯村間の乗合自動車は10月に開通。浴場の夜間利用のため7月には浜坂電燈株式会社より給電開始、浴場内・該当13ヶ所・町家なども点灯し湯村温泉の夜景を一変させた。また大正3年には公衆電話、12年には電話交換業務が開始され、大正15年に旅館の内湯を許可、昭和に入って温泉経営は転換期を迎える。 大正12年度、薬師湯の入浴数は湯区内 225,504名、湯区外61,839名 合計287,343名。浴場収入は5,075円25銭で、利用者の80%が湯区民であった。また、兵庫県衛生課が第一回温泉場浴客調べを行い、当時兵庫県下14の温泉中、湯村温泉が第一位であった。 昭和30年代『三種の神器』と言われて高価だが憧れだった、「白黒テレビ」、「電気洗濯機」、「電気冷蔵庫」を思い出す。その三種の神器だが、湯村温泉にはこんな面白い話がある。子供の頃の湯村温泉では、なぜか「電気洗濯機」の普及だけが遅れていた。それは荒湯の下に洗濯場があったからだ。洗濯場は足湯前の水路のコンクリートのとこで、早朝や夕方、割烹着を着た主婦が数珠繋ぎに並んで洗濯をしていた。たらい・洗濯石鹸を持ってきて、洗濯板がわりのコンクリートでゴシゴシと洗濯をしながら、井戸端会議ならぬ川端会議をしていた。荒湯の洗濯場は温泉が流れて川の水と混ざって冬でも暖かいし、温泉の重層成分で白くなり、ふぁあ~と柔らかくなる。しかも電気代もいらないし、「電気洗濯機」を買うこともいらないのだ。荒湯の洗濯場ではルールが存在した。綺麗なものから川上で洗い、汚いものは川下で洗うということだ。(ある程度、年の順番に並ぶルールも存在した?いわいる荒湯洗濯デビュー)つまりハンカチ・ワイシャツなどの白物は上で、赤ちゃんの布オシメは川下で洗っていたのだ。9/28日まで展示いたします。