「思考と直覚」人間の霊魂を思考/ヘーゲル-38(四百三十七)
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/ヘーゲル-38(四百三十七) ヘーゲルの絶対存在が賦与した時間は直線的時間(Straight time)なのに対し、ニーチェ時間論での永遠回帰は、只管に、教会権威を敵視しています。我々が生きる現代の俗的な時間思考は、直線的時間観念をキリスト教的世界観と結びつけ、円環的時間観念を仏教やペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である「アヴェスター」、善悪二元論の神学、神話、神々への讃歌、呪文等から成りを根本経典とする教など東洋的世界観と結びつける。また、直線的時間観念を狩猟・牧畜分化と、円環的時間観念を農耕文化と結びつける傾向が強まり、キリスト教的世界観、即ち直線的時間イコール狩猟・牧畜分化と対持して東洋的世界観の円環的時間、農耕文化という概念を構成する単位(セット)があるとしています。然し乍ら、ニーチェは、時間には始まりもなければ終わりもない。時間は永遠に循環する。循環するある局面を掴んでみれば、それも円環として見える。円環は、すべの支点が其処から始まるスタート地点であり、またそこに戻ってくるゴールである地点であり、同時にしかも至る所に内在させている。更に、永遠に時間は循環運動を続けていく。何故なら、内外問わず物理的世界に神というものは存在しないのであるから、内世界そのものが永遠でなければならないではない。仮に、此の世界が永遠でなく、有限なものとあるとするならば、其の始現のきっかけを与え、それを終わらせるものがなくてはならない。そんなことができる者は神以外には考えられない。然し乍ら、「神は死んだのだ。」そうニーチェは強調します。詰まるところ、始まりを求めるのは、弱い人間が自己から逃避した結果であり、自己の生を意味づけるために捏造したものであり、虚構であると暴露します。真の価値基準は、「神」や「天国」「真理」ではなく、自分が生きている現実の「大地(現実を踏まえた世界)」に置くべきとしたことの表現が「神は死んだ」の語彙となります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ