「思考と直覚」人間の霊魂を思考/フォイエルバッハ9(四百九十六)
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/フォイエルバッハ9(四百九十六) 抑々が、哲学的に直覚で神を思考すれば、物理的にも精神的にも世界で唯ひとつの「有」であり、ビッグバンの在る無しに関わらず「存在有」初めもなければ終焉もない「次元」の無い、存在を問うことすら出来得ない存在、「無と有」、人間には精神、其れも内精神の理性の奥底(おうてい)に隠された、大宇宙において人間だけに精神があるものとすれば、神の恩寵の霊魂でしょう。其の意味では「神」は「大霊魂」と表現することも中らずといえども遠からずです。キリスト教の教義には「神」はまた道徳的に完全なものである記される。フォイエルバッハは、此のことがはいったい何を示しているのか、「神」とは人間の良心以外の何ものでもないと断定します。詰まり、人間は「神」の道徳的完全性ということにおいて、人間の自己の良心そのものを思い浮かべているので、仮に、「神存在」が人間の良心でなければ、人間は「神」の前で自分の罪を告白したり畏れたりすることが出来得る筈がないのであり、神を自己同義性に持込み、神との応答を可能だと信じ込むと述べます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ