クライバーとドミンゴ、「オテッロ」のゴールデンコンビ
時計の針を巻き戻して、聴きそびれた公演に行かせてあげる、と言われたら、クライバーとドミンゴの「オテッロ」(ヴェルディ)を聴きたい、と言うでしょう。 1981年のスカラ座来日公演でもいいけれど、1976年,ドミンゴがオテッロ役に初挑戦したスカラ座にも行ってみたい。 「オテッロ」の公演になかなか期待できなくなった今、つくづく憧れてしまいます。 「オテッロ」は特別なオペラです。歌手と指揮者、両方が揃って初めて真価が体験できるように思うからです。 もちろん、どんなオペラでも両者は重要です。けれど作品に力があるだけに、ふたつが揃った時の感動のすさまじさは格別のように感じるのです。 いままで自分で聴いた中で一番感動したのは、2003年、フィレンツェの5月音楽祭での公演。指揮メータ、タイトルロールはガルージンでした。デスデモナはフリットリでしたし、ヤーゴはグエルフィで、今としては揃ったメンバーだと思います。 椅子の背に叩きつけられたまま、2時間が過ぎました。「オテッロ」って凄い、つくづくそう思ったことを憶えています。 ガルージンのオテッロは、その後東京やパリでも聴きましたが、さすがにだんだん声が荒れてきた印象を受けました。 何しろ、オテッロを歌える人が少ないので、引っ張りだこなのでしょう。 昨年、トリノ王立歌劇場の指揮者になったジャナンドレア・ノセダが、友達だというフリットリと記者懇親会をやった時に、フリットリと組んで「オテッロ」をやりたかったが、オテッロ役が見つからなくてできなかった、と話していたくらいですから・・・ そんな現状だけに、ドミンゴとクライバーの残した録音を聴くと(残念ながらすべて海賊盤ですが)、飛んで行きたい衝動にかられてしまいます。 ドラマとひとつになった、華麗にして衝撃的な演奏は、時間が飛ぶように過ぎる快感を味わえるに違いない、と思ってしまうからです。 (ドミンゴのオテッロは、「ワシントン・オペラ」の来日公演などで聴きましたが、もう最盛期を過ぎていたので、「聴いた」とはいえない状態でした。) この2人がゴールデンコンビだと思ってしまうのは、繊細さ、大胆さ、アーティストとしての華麗さなど、共通する部分が少なからずあり、それが「オテッロ」という、暗いようだがやり方によっては流麗になりうる心理ドラマを、最大限魅力的にできていたような気がするからです(録音だけではなんともいえませんが・・・)。