「窮鼠猫を噛む」とはどういうことか
「窮鼠猫を噛む」という故事があります。これは窮鼠だけではありません。人間も絶対絶命の窮地に追い込まれると、時としてそれを跳ね返すだけの爆発的なエネルギーを発揮する場合があります。これと同様な言葉で「火事場の馬鹿力」という言葉もあります。大きな絶望は、臆病者を一転して勇者に変える場合があるということです。今日は「窮鼠猫を噛む」という故事から、どうすれば最悪の状態から、心機一転できるのかを考えてみたいと思います。「ダメだ、最悪だ、最低だ、イヤだ」という言葉が口癖になっている人がいますが、そういう人は、自分の言葉に影響されて、ますます落ち込んでいくのではないでしょうか。心機一転というわけにはいかないように思います。そういう人は、本音としては、まだ切羽詰まってはいない。まだ十分ゆとりがあるといえるのかもしれません。なんとかなるはずだという気持ちが心の奥にあると思います。きっと誰かが助けに入ってくれるかもしれないということかも知れません。このような状態では、絶体絶命にはなれないと思います。ではどうすればよいのか。最悪の状態を予測して、それをしっかりと受けとめるという覚悟を固めるというのは如何でしょうか。どん底まではいくらかまだゆとりがあるわけですから、さらに事態が悪化することを予測して、それを受けとめる。最悪の事態に至っても許容するという態度に出るのです。なかなかできないことですが、事実に反旗を翻さないで、事実に服従するという態度で対応するのです。そんなことをすれば自分はますますダメになるのではないか。頭で考えるとそういう事になります。しかし実際はそうなりません。なぜなら、その状況は第3者的な立場から自分を眺めているからです。客観的な立場に立って、最悪の状況を許容していることになります。慌てふためいて、すぐにその状況に対応しているわけではありません。主観的ではなく、客観視しているということがポイントです。その過程で、反発のエネルギーが醸成されてきます。どん底に至るまでじっと待っていると、蓄積されたエネルギーの有効活用が可能になります。ひざを折り曲げて、力を溜めて大きく飛び上がれるように準備しているということになります。反転攻勢に打って出ることができます。これが心機一転です。「谷深ければ山高し」ということになります。森田先生は不眠を訴える人に、今夜は一睡もしないで、起きていなさいと言われています。絶対に寝てはいけないというのは、いわば逆説療法です。翌日その時の状況を詳しく説明するようにと言われました。そのあとで不眠についての対策を教えてあげると言われたのです。ところが不眠の患者さんは、その日に限ってすぐに熟睡したというのです。この現象は、鎖につながれた犬は人が近寄ると盛んに吠え立てます。ところが繋がれた鎖が何かのはずみで外れたとたん、所在の悪さを感じて吠える気力が萎え、すごすごと後ずさりするようなものです。こうしてみると「ダメだ、最悪だ、最低だ、イヤだ」という言葉を、安易な状態で使っている限り、益々みじめになっていくということです。最悪を受け入れるという気持ちを持つことが、自分を救う道だと自覚することが肝心ということになります。