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カテゴリ:神社仏閣巡り
以前、「園城寺(Onjyo-ji)」に行った時、周辺に小さな神社があったのが気になっていました。
という事で、やって来ました。大津です。 京阪京津線「上栄町」駅下車。地図を片手に向かったのは、「長等神社(Nagara-jinjya)」。ありましたありました。結構、豪華な楼門が建っています。明治に再建された新しめの楼門ですが、中世の優れた建築様式を再現しているとして、大津市指定文化財に指定されている。 隋神門だね。こっちが矢大臣。 こっちが左大臣。 折角、大津市指定文化財になっているのに、このお二人さんはクオリティが低いなあ~。 そして、さっきから非常に気になっていたのが、この看板。「美女祈願 魔除参り」と飛びつきたくなるワードと、間には切り張り感あふれるイラストが、大胆な佇まいでコラボしてる。 これには、ご祭神が描かれてあるのだが…。完成度が低いな~。ご利益なさそうに見えるよ。 上から 市杵島姫大神(海運・諸芸上達・恋愛成就の神) 宇佐若宮下照姫大神(安産の神) 建速須佐之男大神(魔除・縁結びの神) 大山咋大神(魔除の神) 八幡大神(武運の神) 手水舎。こちらは、なかなか立派な龍の彫刻だ。全身で手水石に絡みついている。 奥に見える小さな祠は「笠森神社」。 拝殿。 小型犬の様な狛犬さん。 平忠度(Taira-no-Tadanori)の歌碑 “ さざなみや志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな ” ここからは琵琶湖は見えないけど、ま、いっか。 何と本殿は、この回廊の中にある。 こちらは、スックリした狛犬さん。 中に入ると、おお!美女祈願の「お千度参り」ってか? これは、是非!! “ この箱の中の棒を年の数だけ持って左回りに回廊をまわり、御神前でお参りした後、箱に一本棒をもどす。これを繰り返す ” とあった。急いで年の数だけ棒を持ったら、とんでもない束になった。当たり前である。 ここは素直に()の忠告に従いました。 横にあった絵馬を見ると…。あれ?馬? 本殿。 667年、第38代・天智(Tenji)天皇が近江大津宮へ遷都した折、都の鎮護として祀ったのが始まりなのだとか。後に「園城寺」の守護神として4柱追加され、現在は五間社流造となっている。 やはり、度重ねる兵火により焼失しており、足利尊氏によって再建された。 明治になり神仏分離により、「園城寺」から独立した。 本殿にも木製の狛犬が。3組とも材質が違うんですね。 「栄稲荷神社」。 左が「駒竹稲荷神社」、右が「権平稲荷神社 末春稲荷神社」。右側の方はどうやら夫婦岩が祀られているように見える。 ご神木:カツラ。樹齢300年・幹の周囲3m。 左側:「両御前神社」、右側:「馬神神社」。 ほ~、競争馬の名前(と思われる)が書かれてある。タイアポロン号・タフネスヤマト号・シルクプレジール号……。 ここは、馬や牛を守る神様が祀られているらしい。 あ、だからさっきの絵馬が「馬」だったんだ。 次に疎水の方に向かった。途中、「三井寺南別所 両願寺」と書かれた石柱があったので立ち寄ってみた。 「三井寺(Mi-dera)」とは、「園城寺」の事である。どうやら無住寺のようだが、近所の方が手入れをされている様子が伺える。調べてみると、「本願寺(Hongan-ji)」と「園城寺」のエピソードが書かれてあった。 「延暦寺」の衆徒により「大谷本願寺」が破却した頃、当時「本願寺」の法主であった蓮如(Rennyo)は「三井寺」の傍らに御坊を建て、親鸞上人(Sinran-syonin)の御影を安置した。ほとぼりが冷めて御影の返却を願い出たが、「三井寺」が「生首を2つ持参すれば返す」と難題を突き付けた。それを聞き、信者だった漁師の源兵衛が、父親に自分の首をはねさせた後それを持参し、父親の首も差し出ようにと説得。息子の首を持ち、父親は「三井寺」に申し入れた。驚いた「三井寺」は、御影の返却に応じたという。 その首がここに安置されているという事だが、実は大津市のあちらこちらにその言い伝えが残っている。 大津市のマンホール。琵琶湖に浮かぶミシガン船がデザインに採用されている。 もう1つ、気になる神社に向かいます。 神池に咲く真っ白のカラーが印象的でした。 (2017年5月中旬現在) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.08.18 12:46:59
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