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カテゴリ:うるま市
![]() (アガリの御嶽) うるま市浜比嘉島の浜地区に「東(アガリ)の御嶽」というパワースポットがあります。浜漁港の向かいに粛然と佇む御嶽は「シヌグ堂」とも呼ばれていて、巨大なガジュマルに覆われる神秘的かつ超現実的な空間に包まれています。 ![]() (東の御嶽の標識) 海中道路から浜比嘉大橋を渡り浜比嘉島の西側に浜地区があります。浜漁港の向かいに「東の御嶽(シヌグ堂)70m」の標識があり、矢印の方向に目を向けますが、何やら行き止まりのような雰囲気を醸し出していました。半信半疑の気持ちでそのまま細道を進むと… ![]() (シヌグ堂のガジュマル) 突然目の前に巨大なガジュマルが現れて瞬時に幻想的な世界に引き込まれたのです。先日ヤンバルの大石林山にあるガジュマルを訪れたばかりでしたが、浜比嘉島「東の御嶽」のガジュマルはそれを遥かに上回る巨大な老樹であり正に圧巻の一言に尽きます。 ![]() (東の御嶽/シヌグ堂) 壮大なガジュマルの麓には「東の御嶽(シヌグ堂)」があります。シヌグとは沖縄本島とその周辺島、および鹿児島県奄美群島の一部に伝わる豊年祈願の年中行事の一つです。行事の内容は各地の集落により異なりますが、無病息災や五穀豊穣を祈願する他にも、害虫や害獣を駆除する祓いの要素が見られます。 ![]() (東の御嶽のウコール) 石造りの祠には「東御嶽 昭和57年5月15日」と刻印された香炉が設置されており灰にはヒラウコー(琉球線香)が立てられ、他にもお賽銭やお酒も供えられていました。この御嶽では旧暦の6月28日と8月28日の2回「シヌグ祭」が行われます。この祭りは琉球三山時代(1322年頃〜1429年)、戦に敗れた中山の武将・平良忠臣とその将兵数名が浜比嘉島に渡り東の御嶽に身を隠し難を凌いだという故事に由来する祭りです。 ![]() (東の御嶽の案内板) 旧暦8月28日に追討軍(南山・北山軍)が平良忠臣が隠れる浜比嘉島に渡ろうとしますが、琉球開闢の女神アマミキヨ(アマミチュー)と男神シネリキヨ(シルミチュー)へ願掛けを行った結果、嵐が起こり討伐軍の船が海に沈没し難を逃れたのです。この故事にちなんで海の時化(しけ)を祈願する非常に珍しい祭りが行われるようになりました。 ![]() (東の御嶽の拝所) 東の御嶽(シヌグ堂)の奥には小高い丘を登る石段があり、その先には墓の形をしたウガンジュ(拝所)がありました。シヌグの語源は豊年祭の「災厄を凌ぐ」という説、あしびなー(遊び庭)の「踊り」という説、平良忠臣が隠れた「忍ぶ」という説など諸説あります。 ![]() (シヌグ堂のガジュマル) ガジュマルにはキジムナーが宿るという伝説が沖縄にあります。キジムナーとは沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の生物で、ガジュマルの古木に住む精霊を意味します。キジムナーは人から恐れられることは滅多になく「体中が真っ赤な子供」「赤髪の子供」「赤い顔の子供」と表現されて、長髪で全身毛だらけの姿で現れると言われます。 ![]() (高樹齢のガジュマル) 川でカニを獲ったり特に魚の左目または両目が好物で、グルクンの頭が好物だと言われます。キジムナーと仲良くなれば魚をいつでも貰え、金持ちになれるともされます。海に潜って漁をするのが得意で瞬く間に多くの魚を獲るそうです。また、水面を駆け回ることができ、人を連れながらでも水上に立てるとも言われています。 ![]() (ガジュマルの古木) さらに、キジムナーは人間と敵対することはほとんどありませんが、住処の古木を切ったり虐げたりすると、家畜を全滅させたり海で船を沈めて溺死させるなど、ひとたび恨みを買えば徹底的に祟られると伝えられます。赤土を赤飯に見せかけて食べさせる、木の洞など到底入り込めないような狭い場所に人間を閉じ込める、寝ている人を押さえつける、夜道で灯りを奪うなどの悪戯を働くとも言われます。キジムナーは出入りが自在でどんな小さい隙までも出入りが可能とされる妖怪です。 ![]() (シヌグ堂の石柱) ガジュマルの頭上からは常に「トンットンッ」「コンッコンッ」「カンッカンッ」と何かを叩く乾いた音が鳴り響いていました。もしかしたらキジムナーが挨拶をしていたのかもしれません。そんな幻想を抱かせる崇高な「東の御嶽(シヌグ堂)」は琉球三国時代の歴史的な故事、漁業で生きる集落に伝わる海のシケを願う不思議な祭り、精霊のキジムナーが宿る神秘的なガジュマル、それら全てを継承し続ける浜比嘉島浜集落の人々に大切に守られている聖域なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.28 19:07:14
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