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カテゴリ:沖縄市
(登川邑発祥之地の石碑) 沖縄市の「登川集落」は国道329号線沿いの沖縄市北部と、うるま市西部の市境に位置します。北美小学校正門近くに「當之御嶽」があり、石碑には「登川邑発祥之地」と書かれています。登川(のぼりかわ)という名称は沖縄の言葉で「ニィブンジャー」と言い、主に60代以上の地元高齢者からは登川(ニィブンジャー)と普通に呼ばれています。 (ムートゥーガー) 「當之御嶽」の西側に「ムートゥガー」と呼ばれる井戸があり「登川集落」の一番古い井戸とされています。琉球王国時代に村人は正月の元旦にムートゥガーを家族で訪れ、東に向かい「トゥシヤカサディ、イルヤワカク(年を重ねて、心は若く)」と唱えながら洗顔を行なったそうです。また、子どもが生まれるとこの井戸から産水を汲んだり、稲や豆の豊作を願って拝んだりしました。 (登川創立記念碑) 登川公民館の西側に「登川創立記念碑」があります。登川碑や分村碑とも呼ばれており沖縄市の市指定文化財に登録されています。「登川集落」は当初、池原から元島(現在の北美小学校周辺)に人が移り住んだと言われており、その後更に池原から数世帯を加えて「登川集落」が創立されました。この碑はそれを記念して1739年に建てられました。当時の琉球で盛んに行われていた集落移動を記した貴重な資料となっているのです。 (火ヌ神/ヒヌカン) 登川公民館の裏手に「火ヌ神(ヒヌカン)」があります。沖縄の人々は古来より陽の昇る遥か彼方に理想郷(ニライカナイ)があると信じ、太陽を神聖なものとして捉えていました。ニライカナイからもたらされた火は太陽の化身として崇められるようになったのです。村人は集落の守り神である「火ヌ神」に無病息災と繁栄を祈願しました。岩造りの祠の内部にはウコール(香炉)と霊石が祀られています。 (西の四方神) 「登川集落」には四方神があり「ヨスミノカド」とも呼ばれています。これは「西の四方神」で霊石とウコールが設置されています。登川(にぃぶんじゃー)集落の始まりには秘話が伝わります。昔、知花と池原の間の人里離れた処にフェーレー(追いはぎ)が出て、首里の王府へ貢物を運ぶ人や、国頭からの旅人が襲われて品物を奪われることがたびたび起こっていました。時の琉球王府は池原集落に対して、フェーレーを取り締まるように命令を下したのです。 (南の四方神) 登川公民館の近くにある「南の四方神」にも霊石とウコールが設置されていました。さて、池原集落から選ばれた7名の若者は昼夜を徹してフェーレー退治につとめ、遂にフェーレーを捕まえて首里王府に連行しました。王府ではフェーレーを退治することはできたが、また違う追い剥ぎの被害が出ないか心配して7名の若者に対して「集落を作り監視するように」と命令したそうです。 (東の四方神) 「東の四方神」にも同様に霊石とウコールが設置されていて「登川集落」を守っています。更に、王府の命令で集落を作ったのは良いが、そこが山岳地帯で土地が狭く発展性に乏しいという事に気付き、住み易い広い場所を求めて元文4年(1739年)8月15日に現在の登川地区に移動しました。しかし、今度は7軒では少な過ぎるという事になり、もう7軒を池原集落より合併させて村を作ったそうです。 (北の四方神) 「北の四方神」には神石とウコールの横にクムイ(溜池)が設置されています。登川の四方神(ヨスミノカド)に囲まれた区画内には多数のクムイがあり「登川集落」が水源を確保する為に知恵を絞っていた事が伺えます。新しい登川集落を作る時に区画整理や用水路の整備等についての指導をなされた方は赤嶺親方という風水見で、その人の名は登川公民館近くの「登川創立記念碑」に記されています。 (神アサギ) (カミヤーの内部) 「登川集落」の中心地にある「神アサギ」と呼ばれる祭祀場は登川公民館の北側に位置します。「神アサギ」では旧暦の5、6月のウマチー(豊穣祈願の収穫祭)や6月のカシチー(米の収穫を報告し感謝する行事)の日に集落の有志達が集まり神を祀ります。その裏側にはウガンジュ(拝所)があり「カミヤー」と呼ばれており、内部には4つのウコール(香炉)とミジトゥ(水)が供えられていました。それぞれ東西南北の四方神(ヨスミノカド)への感謝は、新しい登川を作った赤嶺親方の風水の影響を受けていると考えられます。因みに、親方(ウェーカタ)は琉球王国の称号の一つで、王族の下に位置し琉球士族が賜ることのできる最高の称号でした。 (北見小学校北側の森) 沖縄市の「登川集落」には琉球赤瓦の古民家や昔の馬小屋が現在でも多数残り、住民は団結力が強く生まれ育った登川に誇りを持って暮らしています。「登川集落」を発展させた赤嶺親方に感謝しながら、親方の詠んだ有名な詩で締め括りたいと思います。 『枕並(まくらなら)びたる 夢(ゆみ)ぬちりなさよ 月(ちち)や西下(いりさ)がてぃ 恋(くい)し夜半(やふぁん)』 (愛しい人と枕を並べている夢を見ていたのに、風の音かに驚いてハッと目覚めた。時はと言えば、就寝のおりは中天にあった月が西に傾いている冬の夜半。なんとつれない夢を見たことか。冬の夜のひとり寝は、ことさら侘しい。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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母方の名前が登川です。
今人生の折り返し地点にいます。 せっかく出来た時間なので自分のルーツを探る為にとりあえず軽くネットからと思っていたら、すぐに見つかり驚いています。 沖縄に帰省した際にお参りではないですが、各所巡って先祖達に思いを馳せさせて頂きます。 こんなに詳細に記載して頂きありがとうございます。 (2024.01.11 14:46:29) |