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2007年11月23日
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カテゴリ:シリーズ幕末史

桂小五郎は、蛤御門の変の後、半年あまりの間、逃亡生活を送っていました。

幕府からは、朝敵となった長州藩の中心人物として行方を探索され、
長州にも、親幕府政権が成立したために帰ることが出来ず、
身を寄せる場所がなかったのです。

小五郎は、その間、芸妓の幾松や町人の甚助などに支えられ、
京都~但馬出石~城崎と場所を移りながら、世を忍び、潜伏を続けました。

今回は、そうした波乱に満ちた、桂小五郎の潜伏生活の様子をたどります。


元治元年(1864年)6月。
蛤御門の変で、長州の軍が潰滅し、京の町が戦火につつまれる中を、
桂小五郎は、一人、京を脱出しました。

その後、数日して、再び京に潜入。
小五郎は、鴨川の橋の近くで、乞食のような身なりをして隠れ住みます。

しかし、小五郎は、今でいえば指名手配の要注意人物。
新撰組などから、執拗な探索を受け続けました。
そんな中で、小五郎を支えたのが、
京・三本木遊郭の芸妓、幾松でした。

幾松は、命を狙われていた桂小五郎を庇護し、
新選組に追われる小五郎を、機転を働かせて、度々かくまったといいます。
小五郎の食事についても、商家の女になりすました幾松が、
橋の上から握り飯の入った包みを、そっと投げ落として渡していました。

しかし、小五郎も、いつまでも、京に留まっていることは危険であると感じていて、
何とか、関所を超え、京から抜け出すことを考えていました。
そこで、小五郎は、懇意にしていた対馬藩士に相談し、
その下僕をしていた広江甚助という町人に、協力を依頼します。

甚助は、小五郎が自分の援助を必要としている事を聞き、
小五郎を、京から脱出させて、かくまうことを決意しました。

甚助は、小五郎を、甚助の郷里出石に逃れさせる段取りを進めていきます。
小五郎を船頭に化けさせて、京を脱出、関所もうまく通り抜けて、
小五郎を、無事、出石に連れて行く事に成功しました。

この後も、甚助は献身的に小五郎をかくまい続けます。

出石では、最初、知人の家に小五郎を住まわせ、
次いで、会津、桑名の藩士が小五郎の探索にきたという噂を聞くと、
出石から城崎の湯治宿に小五郎を移動させました。

時には、広江家ゆかりの寺に預けたり、
又、ある時は、「広江屋」という荒物屋を小五郎に開かせたりしました。
小五郎も、この時期には、甚助の妹の婿と称し、広江屋孝助と名乗っていたといいます。

そうした、ある日。
小五郎は、高杉晋作が藩内でクーデターを起し、俗論党政府を打倒したとの噂を聞きつけます。
小五郎は、長州の状況を確認したいと考え、甚助に下関に行くよう頼みました。
さらに、この時、自分の居場所を、村田蔵六にだけ伝えるよう指示しました。
蔵六は、下級藩士ではありましたが、小五郎は彼に全幅の信頼を置いていたのです。

甚助は、下関へと向かい、京から逃れてきていた幾松と面会。
又、村田蔵六に会って、小五郎が但馬に潜んでいることを伝えました。

やがて、小五郎が無事でいることを知った長州藩は、
一日も早く、小五郎を藩に呼び戻そうとしました。
成立ほどない長州新政権は、
藩を背負って立てる、首相のような役割が果たせる政治家を切望していたのです。
結局、甚助と幾松の2人が、出石まで小五郎を迎えに行くことになりました。

慶応元年(1865年)2月。
桂小五郎が、長州に戻ってきます。

帰国後の小五郎は、事実上藩政府の頂点に立ちました。
それとともに、それまで無名であった村田蔵六(のち大村益次郎)を、
いきなり、軍務大臣に相当する軍政の責任者に抜擢。
彼は、この蔵六をして、藩軍の整備にあたらせ、
来たる対幕戦の総司令官にしようと考えていました。
ここから、長州の倒幕に向けての軍制改革が、本格的に進められることとなっていきます。

ところで、小五郎の逃亡を必死に助けた甚助。
人から頼まれたというだけで、何の義理もなかったはずの小五郎に対し、
驚くほど親身になって、彼をかくまい、生活の面倒を見続けました。
多くの危険はあっても、利益を受けることのない、まさに、無償の善意でありました。
小五郎は、甚助の人情により、この苦境から救われたということができるでしょう。

小五郎も甚助の恩を終生忘れることがなく、
明治になってから、甚助が大阪で商売を始めたときには資金を提供し、
「広江屋」の商号と孝助の名も与えたといいます。

そして、もう一人、芸妓の幾松。
こちらは、その後、桂小五郎と結婚。
後の木戸孝允夫人・松子となります。





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最終更新日  2007年11月23日 07時56分24秒
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うわあ~~^^   7777ハリー さん
めっちゃ、ええ話しですやん♪

嬉しくなりました。

そうですよね。
無償の愛だから、、一生なんもなし・・

じゃのうてからに、、

ちゃあ~~んと無償の愛に報いられる人でありたいですもんね。

桂小五郎という人物の報恩の心に
私の胸は、、あったかくなりました♪

幾松さんが、
奥様になられたという件(くだり)には
感動です!!

歴史の人物が、
ものごっつうう~~身近に感じられました。

ありがとうございました。

そんでもって、
コメントも、、
こお~~んなにぶっちゃけ感いっぱいのコメントになってしまいました(苦笑)

今日も、
さっぶう~~~いですね。
お風邪など召しませんように、、
あったかい格好でお過ごしくださいませ。


うふふ^^
子どもじゃないから、、
そのようなご心配はご無用に存知まする!!

って、
言われそうですね。
しっつれい致しました。

(2007年11月23日 09時43分53秒)

こんばんわ   gundayuu さん
7777ハリーさん

コメント、ぶっちゃけて頂いて有難うございます。
あまり、ぶっちゃけないスタイルのブログですので、
少し、くだけた方がホッとできます。


松山も寒いですか、
大阪も、この数日とても寒かったので、
我が家でも暖房を入れて、すっかり冬支度になっちゃてます(笑)
(2007年11月23日 21時15分26秒)

Re:桂小五郎の逃亡生活(11/23)   turbo717 さん
う~ん。1864年以降の話ですか。1862年であればここ中津川が出てききました!
1862年、長州藩がこれまでの「公武合体」の方針を一変して「尊皇攘夷」を唱える至ったのですが、桂小五郎が、これを説得するために、藩主毛利敬親(たかちか)が中山道を通るのを中津川の「かけやま」で隠れて待ったということです。今もその家が残っています。 (2007年11月23日 21時46分25秒)

Re[1]:桂小五郎の逃亡生活(11/23)   gundayuu さん
turbo717さん

幕末の政局の移り変わりは、めまぐるしいですね。
1862年、は「尊皇攘夷」が全盛期を迎えるようになっていくターニングポイントとなった年でした。

中津川にも、そうした史跡が残っているんですか。
馬籠・妻籠宿は、興味があるんですが、
一回行ってみたいと思っている場所の一つです。

----- (2007年11月23日 22時37分00秒)

コメントをありがとうございました。   7777ハリー さん
とほほ・・

子どもには、、
散々、、偉そうなことを言って来ましたが

最近
ヘイセイ逆転してます!!


老いては子に従え。

これで、、いいのかも知れませんが・・

(2007年11月23日 23時36分18秒)

苦難のときこそ思い出が深くなるんでしょうね   FC司馬 さん
桂の人生で、最も苦難を連続体験した時代ですね。
明治になっても桂はこの頃を思い出しては偲ぶことが多かったと言いますし。

乗り越えた後の苦難の日々ってのは美化されるんでしょうね…


(2007年11月24日 23時10分47秒)

老いては子に従え   gundayuu さん
7777ハリーさん

子どもが自立して、親を超えていくのは、
嬉しいことでもあると思います。
いい親子関係だと思いますね。

これからも、自分のため、子どものために頑張る
夢見る明日のハリーさんでいて下さい。
(2007年11月25日 07時46分11秒)

逃げの小五郎   gundayuu さん
FC司馬さん

と呼ばれた、桂の真骨頂ですね。
剣の達人でありながらも、闘うことより逃げることを選んだという桂小五郎。

>乗り越えた後の苦難の日々ってのは美化されるんでしょうね…
思い出は美化されるものでしょうけど、
苦しさを乗り越えた思い出というのは、なお一層なんでしょうね。 
逆に、乗り越えられなかった苦難は、思い出したくもないですけど(笑)。

(2007年11月25日 08時05分37秒)

今から佐川へ   ゆうあいママtosa さん
佐川勤王党とのであいありますね・・
ではまた報告をブログに書きますのでご覧下さい。
夜になりますかな?
(2007年11月25日 08時33分21秒)

お気をつけて   gundayuu さん
ゆうあいママtosaさん

行ってらっしゃい。
佐川ってどんなところですか。
勤王党のさかんな町だったんでしょうね。

(2007年11月25日 08時49分27秒)

Re:桂小五郎の逃亡生活(11/23)   華文字 さん
映画のシーンを観るような桂小五郎の逃亡生活ですね。
面白い!!
(2007年11月29日 22時07分39秒)

Re[1]:桂小五郎の逃亡生活(11/23)   gundayuu さん
華文字さん

桂小五郎=木戸孝允は、一般的には、さほど人気がなくて、
西郷や龍馬、晋作ほども評価されていないようですが、政治家としての力量・人を見る目・時勢を見る目など、ただものではなかったと思います。

こうした逃亡生活を耐え忍んで、時期を待っていたのも、小五郎ならでは。
彼なりの時勢感があったのではないでしょうか。
(2007年11月29日 22時59分19秒)

あはは^^   7777ハリー さん
自分のコメントを、、
読むとはなしに読んで、、

ひええ~~~

形勢逆転が、、

ヘイセイ逆転になってます。

お恥ずかしい!!
トホホ・・
(2007年11月30日 14時54分43秒)

明日のハリーさんへ   gundayuu さん
ハリーさんなら、何でもご愛嬌。
全くOKですよ。

では、また、明日
(2007年11月30日 23時33分14秒)

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