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2009年10月02日
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カテゴリ:地域の歴史・伝承

桑名といえば・・・
「その手は桑名の焼き蛤」という洒落言葉が有名です。

東海道五十三次の宿場町であり、
また、お伊勢参りの東国からの入口として相当に繁栄していた町で、
この焼き蛤の句も、そうした繁栄のさまが示されているように思います。

しかし、一方、幕末において、
桑名藩は、会津藩とともに幕府方の急先鋒となり、
藩主・松平定敬(さだあき)のもと、戊辰戦争を戦い抜いたという歴史を持っています。

そうした、幕末史の主要勢力の一つであった桑名の地を、訪ねてみたいと思い、
この前の、シルバーウイークの休みに、桑名へと行ってきました。

出かける前に、インターネットで桑名の幕末史跡を調べてみたのですが、
検索をしても、ほとんど見つけることが出来ませんでした。
現地で聞けば教えてもらえるかも、と思い、
桑名駅に着くと、まず、観光案内所に行って聞いてみました。

「幕末の史跡が残っているところへ行きたいのですが。
 松平定敬にゆかりのある史跡はないですか?」
と、聞くと

「聞いたことがありますね、確か有名な人ですよね。」
と言いながら、桑名観光案内の本の人名索引から、調べてくれました。

一項目だけあって、九華(きゅうか)公園の中に、
「戊辰殉難招魂碑」があり、松平定敬が碑文を書いたものだと教えてもらいました。

次に、もう一つ
「立見尚文に、ゆかりの史跡はないですか?」
と、聞いてみました。

立見尚文は、戊辰戦争の時から、いくさ上手として知られ
日清戦争・日露戦争にも出征。
その巧みな戦いぶりから、海外からも東洋一の戦術家と評された名将で、
桑名から唯一、陸軍大将になった人です。

「たつみなおぶみ ですかぁ」
と言いながら、調べて頂きましたが、
これは、人名索引にものっていません。

地元で聞けば、多少は教えてもらえるかな、と思ったのですが・・・、
対応して頂いたのは、中年くらいの女性の方でしたが、
悪いことをしました。
でも、それほどまでに、桑名に幕末史の面影は残っていないのです。


観光案内所で教えてもらった通り、
まずは、九華公園に行きました。


九華公園


かつては、桑名城の本丸・二の丸があったところで、
昭和3年に、城跡公園として整備されたもの。
もともと、この城を築いたのは、徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝でありました。

濠の跡を利用して、うまく整備されていて、
ゆったりとした、良い公園になっています。

この公園の一角に、鎮国守国神社(ちんこくしゅこくじんじゃ)という神社があり、
その奥の方に、松平定敬の書による「戊辰殉難招魂碑」がありました。


戊辰殉難招魂碑



この一帯は、昔、天主閣があった場所なのだそうです。
しかしながら、本当に、奥まった片隅という感じの場所で、
何の説明文も掲示板もなく、
それこそ、人知れず建っているという感じがしました。

・・・

気を取り直して、九華公園の中を散策します。

公園の中には、何ヶ所か、辰巳櫓跡、神戸櫓跡など、
城の遺構を示す説明が立てられていました。


辰巳櫓跡



辰巳櫓跡です。
この櫓跡には、何故か、大砲が一基置かれています。

ここの説明文には、こう書かれていました。

 桑名城は、元禄14年天主閣が焼失し、その後再建されなかったので、
 この辰巳櫓が、桑名城のシンボル的存在であった。
 戊辰戦争の時、降伏のしるしとして焼き払われた。
 現在、大砲が置かれているが由来等は不詳。


そうなのです。
維新の時の桑名は、本当に悲惨な運命をたどったのです。

戊辰戦争の時、藩主定敬以下、桑名の主力軍は東北各地を転戦。
その留守の間に、国許の桑名では、新政府軍の前に降伏しました。

無血開城といったようなもので、
この時に、辰巳櫓は焼却され、他の建造物もすべて取り壊されました。
それら遺構のほとんどは、当時、建設中であった四日市港の
建設資材にすべく、運び去られたといいます。

この後、地元の人に少し話を聞く機会がありましたが、
賊軍である桑名に対して、新政府軍は、それこそ徹底的であったようで、
根こそぎ潰されたのだと、仰っていました。

それを思うと、おそらく今でも、桑名の人は、
幕末の時のことは、あまり思い出したくもなく、
観光の資源にする気も起こらない、ということなのかも知れません。


九華公園を出て、桑名の町をさらに歩きます。
たまたま、神社に行き着きました。


赤須賀神明社


赤須賀神明社という神社です。
何気なく、境内を歩いていると、一角に石碑があるのに気がつきました。



村民死節之碑



 村民死節之碑
 明治三十二年 立見尚文 謹書   とあります。

意外なところで出会った、立見尚文の名にびっくりです。

これが、どういう経緯で、何の慰霊を行ったものなのか
家に帰ってから調べてみました。
節義のために死んだ村民を慰霊するための碑文
ということなのだろう、とは思いますが良くわかりません。

明治32年ということは、日清戦争終結の4年後に当たるので、
この地から日清戦争に出征した兵士を慰霊したものかも知れませんし、
あるいは、戊辰戦争以降の戦没者を慰霊する意味のものなのかも知れません。

しかし、こうした碑を前にすると、立見尚文などもそうですが、
戦争や死というものと、隣りあわせのようにして生きていた当時の人の、
強靭な生き様と思いが伝わってきます。


賊軍の汚名を着せられ、悲惨な運命をたどることになった幕末の桑名。
その歴史を思うと心が痛みます。

しかし、その一方で、
正しいと信じた道を一途に貫いたその精神は、もっと、誇ってもいいのですよ、と、
桑名の町に、声を掛けてあげたくなりました。






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最終更新日  2009年10月02日 23時35分09秒
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