カテゴリ:カテゴリ未分類
台風24号の影響を避けて延泊することになった2日目は、札幌芸術の森に行ってみました。ここは全く初めてです。
芸術の森までは真駒内からバスに乗ります。あとで気づいたことですが、真駒内からのバスには、「芸術の森入口」に停車して別の場所まで行くバスと、「芸術の森センター」行きのバスがあります 前者は野外美術館のみを見学するには便利ですが、私はたまたま、後者のバスに乗りました。もっともこれが幸いで、園の入口付近の景観のほか、左手の森の中の有島武郎邸を見学することができました。 今回の旅行では、有島武郎には縁があったみたいで、前日の開拓の村でも、有島武郎邸の内部を見学しました。開拓の村のほうは1910年5月から翌年7月頃まで住んだ建物であり、芸術の森にあるほうは1913年に竣工、有島が札幌を去ったあとはいくつかの曲折を経て北海道大学の「有島寮」として利用されたりしました。なお有島は、恵迪寮の舎監をつとめていたこともあります(但し、開拓の村に保存されている二代目恵迪寮より一代前の建物だったようです。) 有島武郎の作品は殆ど読んだことがありませんが、カインの末裔の松川農場の舞台となったあたりや、近隣の赤井川村は一度は訪れてみたかった所です。 【芸術の森入口付近】 【有島武郎邸の森。赤いペンキが塗られているが、当初は白木だったらしい。】 【参考:開拓の村の有島邸。5年ほど前に撮影】 【有島武郎邸の内部と、窓越しに眺める外の景色。但し、邸宅があった場所は北大キャンパスの北に位置する北12条西3丁目。】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ふと、小学校5年の国語授業で、「一房の葡萄」を読みなさいとの指示があり、読んだ記憶を思い出しました。
小学校5年で、どれほど漢字が読めたのか定かではありませんが、初めて有島武郎の小説に接したのでした! (2018年10月14日 09時17分52秒)
カーク船長4761さんへ
じつは有島武郎の作品は殆ど読んだことがありませんが、『カインの末裔』の冒頭の描写はとても気に入っています。地元に暮らしていた人でないと表現できないでしょう。 以下、青空文庫より引用: 北海道の冬は空まで逼せまっていた。蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる紆濤のように跡から跡から吹き払っていった。寒い風だ。見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直な一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。 (2018年10月14日 09時40分36秒) |