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テーマ:家庭菜園(58896)
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野菜から脱線 会社に行く途中の塀とカメラなど 日本は 安全と水はただ しかし 最近は水もpetの有料のものがおおい 安全も 塀をつくったりしてカメラまで付け出した まあ カメラもnetworkで簡単にできるので どんどん取り付けている 会社の前にはカメラ 道路にもカメラ 高速道路にもカメラ 空には人工衛星のカメラ カメラだらけになってきている googleでもカメラでのmapがいつでもみられる 地図よりカメラの映像がどんどんと 世の中 カメラだらけになってきたなあ 東日本大震災 3月11日発生 05月01日は 既に416日後となった 武田さんのブログ ---------------------------------------------- 日本にも科学者がいるのか?・・・頭脳活動と行動 連休に入って時間の余裕ができると、いろいろなことが頭を巡ります。「事実と幻想」、「科学の役割」が今の一つの課題でもあります。 ポアンカレという数学者は次のように言っています。 「私たちは、事実がどんなに残酷なものかを知っている。だから、幻想の方が事実より心の安まるもの、力づけてくれるものなのだ。私たちに信頼感を与えてくれるのは実は幻想にほかならない。でも、幻想は消え去る。その時に人は希望を失わず、そのまま行動する元気をもち続けることはできない」 幻想は甘い汁ですが、やがて消えていきます。そのときに冷酷な事実に力強く立ち向かうことができるのは事実そのものでしょう。人間は辛いことを正面から見るのは大変で、ダーウィンも「勇気を持てば事実が見える」といっています。まさに被曝と健康、福島の人の避難などに当てはまるでしょう。 また東大総長の浜田純一先生は訓示で次のように言っておられます。 「人間が陥りがちな弱さに自らも陥らず、そして人をも陥らせない役割が科学に携わる者には求められています。科学は精神安定剤ではないのです。人々の期待に力の限り応えながら、同時に期待の圧力に屈しない知的廉直が科学には求められます。科学の世界に生きる者に求められているのは、今の科学で出来ることと出来ないこととの区分を明確に示すとともに、その限界を乗り越えるために苦闘している姿を率直に見せることです。」 東大総長からこのような言葉がでるところに、今の日本の科学の脆弱さがあります。つまり東大の御用学者も頭ではこのこと、つまり科学は人間が陥りがちな弱さに陥らず、精神安定剤ではなく、期待の圧力に屈しない知的廉直さなのです。でも頭でわかっていることが実行できない悲しさを東大教授は持っています。それが国民を苦しめているのです。 地震予知が始まった1970年代。東大の地震の先生はお金が欲しいので「東海地震が先に来る」と言い、阪神淡路と東北で犠牲者26000人の原因を作りました。まさに「出来ることと出来ないこと」の区別が明確に出来なかったのです。 福島原発事故による被曝が始まると東大教授は「大丈夫」と言いました。被曝と健康の問題は法律で1年1ミリと決まっており、それをさらに明らかにしようと「苦闘している姿」だったのです、それは政府のいいなりになって科学を捨てました。 「わかっているのにやらない、わかっているのに違うことを言う」という自らの利益だけを考えた精神的疾患は、東大教授に著しく、日本のインテリに共通した病状です。これは日本人のある意味での限界を示したもので、特に宗教的基盤の薄い日本に顕著です。人間は頭でっかちですから、宗教やヨガという精神的基盤や鍛錬なしに厳しい現実に向かうことが出来ないのでしょう。 (平成24年4月30日) そうだな はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.05.01 02:05:00
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