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テーマ:家庭菜園(58890)
カテゴリ:カブラ
昨年の秋のカブラ 今年もカブラの季節がきたあーーー 聖護院カブラ 1回目の種まきをする 09月04日 m-08の畑に直播をした 台風12号の後なので雨がたっぶり 09月11日 全部が発芽して okだな 09月18日 成長している まあまあ 追肥する 10月10日 根っ子が見えてきた ピンポンくらいのサイズになりつつある 10月16日 5cmくらいのサイズになってきた 10月30日 10cmくらいのサイズになってきた 11月03日 初の収穫をしておく とりあえず3本を引っこ抜く 11月13日 2回目5本 3回目5本収穫しておく 11月20日 3回目5本 4回目5本収穫をしておく 11月26日 4回目5本 5回目5本収穫をしておく 2回目の種まき 10月02日 m-07の畑に直播 水をたっぶりかけておく 11月13日 そのごすこしは大きくなっているが ??? コカブ 第一弾 09月18日 種をかってきたので種まきした m-06の畑 10月02日 すこし発芽してきている 10月10日 発芽してきている okのようだ 10月30日 根っ子 大きくなりつつある 11月13日 大きくなっている 収穫できる状態になっている ok 11月27日 ためしに収穫 2個 大きい 第二弾 10月02日 m-07の畑にも直播をしておいた 10月02日 庭のpotでも種まきした 10月10日 畑に移動した 11月13日 すこし大きくなっている 赤カブラ 10月02日 庭のpotで種まきをしておいた 10月10日 畑に移動した m06の畑に 10月30日 こちらのはまだ小さいなあ 11月03日 まだ小さい ねっこもまだまだ 11月13日 葉は大きくなっている が 根っ子はまだ 今年のカブラ 01月08日 コカブ10個を収穫した 01月15日 コカブ10個を収穫 赤カブ4個を収穫 01月22日 コカブ10個を収穫 赤カブ6個を収穫 01月29日 コカブ08個を収穫 赤カブ6個を収穫 02月05日 コカブ06個を収穫 赤カブ6個を収穫 02月12日 コカブ06個を収穫 赤カブ4個を収穫 02月19日 コカブ10個を収穫 赤カブ6個を収穫 02月26日 コカブ10個を収穫 赤カブ6個を収穫 03月04日 コカブ09個を収穫 03月11日 コカブ20個を収穫 聖護院カブラ 収穫したのは11月3日より ただいま5回 3-5-5-5-5- 合計で23個 終了 コカブ 収穫11月27日より16回 2-7-7-7-10-6-10-10-10-8-6-6-10-10-9-20-30- 合計で168個 赤カブ 12月18日より収穫 ただいま 9回 1-6-4-6-6-6-4-6-6- 合計で45個 終了 コカブがメイン 聖護院カブラも終了 赤カブも終了 コカブも終了した 11月3日より31回目にて 全部のカブラを収穫した とても 沢山の量となった すばらしーーーーーい 今年のカブラ まずは 聖護院カブラから 09月09日 カブラは聖護院を植えておいた g-10の畑 09月16日 畑をみると 発芽したのは少ない すぐに第二弾の種まきをしておく 09月16日 庭でpotに種まきをした 09月22日 発芽していたので g-10の畑に 種はあるので どんどん種まきしよう 09月23日 第三弾の種まきをした 種まき バリバリ やっている 東日本大震災 3月11日発生 09月23日は 既に561日後となった 武田さんのブログ ---------------------------------------------- 尖閣・竹島・四島・・・領土と国(5) 国際的に見た竹島の帰属と日本の覚悟 竹島の問題に本格的に取り組む前に、国際的に見た竹島の帰属(日本の領土か、朝鮮のものか)について整理をして起きますが、これもハッキリしていて、あまり議論の対象ではありません。 現在の日本の周辺の国土は、大東亜戦争で日本が敗北して、それまで日本の領土だったところ、特に戦争が始まる前も保有したり、支配をしていた地域について、国際的に放棄しました(サンフランシスコ平和条約)。 それは、次の島々です。ずいぶん、多くの島や土地を放棄したものですね。 1) 千島列島 2) 樺太(サハリン)、 3) 満州、 4) 朝鮮、 5) 沖縄、 6) 台湾 このうち、沖縄はアメリカの信託統治となり、現在は日本に復帰しています。より小さな小笠原諸島、南沙諸島など細かい範囲の設定がありました。その中で、今、問題になっている、四島、竹島、尖閣はいずれも「何らかの事情でハッキリしなかった」ものです。 ハッキリしない事情はそれぞれで違うのですが、いずれもサンフランシスコ平和条約でハッキリとは書かれていなかったということです。 1)四島は「国後、択捉、歯舞、色丹が千島列島に所属するのか、しないのか」という問題。日本はこの四島は千島列島の一部ではないという見解。 2)竹島はサンフランシスコ平和条約の時に、日本と朝鮮の間にある四つの島(済州島,巨文島、欝陵島および竹島)のうち、最初の3つは明記されたのですが、竹島が明記されず、そのためにサンフランシスコ条約の時に朝鮮がアメリカに苦情を申し出、アメリカが「竹島は歴史的にも日本の領土」としたもの。 3)尖閣列島は昔から琉球諸島と一緒のくくりで、サンフランシスコ平和条約の時には特に明記されていなかったもの。 陸地の領土でも同じ事ですが、「場所」は複雑なので、もめ事がないという状態はなかなかできません。たとえば千島列島とは「どこからどこまで」と書くのもあまりに煩雑になるのでやっかいです。またその時に双方に思惑があってわざと書かないなどということもあり、書くと全体の条約の調印まで行かない可能性もある場合も考えられます。 また、尖閣は多くの人が「当然、琉球諸島の一部」と思っていたので書かなかったということもありますし、台湾に移動した中華民国がなにも言わなかったので、そのままアメリカが所有し、沖縄返還とともに日本に帰ってきたということです。 竹島はやや複雑ですが、韓国にとって都合が悪いのは、条約を調印するかなり前には竹島は他の3島とともに朝鮮の所属になっていましたが、調査が進むと「どうもこの島は日本らしい」となり、調印間近には朝鮮に返還されるのは四島から三島に変わりました。このことで韓国がアメリカに異議を申し立てたので、「寝た子を起こす」ことになり、結局、日本の領土になりました。 またやっかいなことに、ソ連と中国はサンフランシスコ平和条約に調印せず、韓国は日本と戦っていないので、戦勝国ではなく、従って講和会議にも出席出来ないという立場にあったのです。 ・・・・・・・・・ 竹島が尖閣諸島よりややこしいのは、朝鮮が李承晩ラインというのを引き、竹島を朝鮮の領土にしたことです。つまり「国際条約で決めたことを韓国が当事者になれなかったので、独自に決めたということになったのです。 韓国は武力で竹島に上陸、そこを占拠しました。当時の日本は戦争に負けて平和憲法ができたばかりでしたから、「国際紛争には武力は使わない」ということでしたが、「相手が武力で来たときにどうするのか?」は決まっていなかったのです。 強いて言えば、アメリカが武力を背景に相手側と交渉してくれるぐらいのところだったのでしょう。事実、竹島では「日本の領海なのに大量の漁船が拿捕され、漁民が韓国に連行された」ということが発生しましたが、日本は泣き寝入りをせざるを得なかったのです。 1910年に日本が韓国を併合したとき、日本は直接的な武力を使ったわけではなく、武力を背景に韓国を併合したのですが、「武力と関係なく話し合いで併合した」わけでもありませんでした。このことが「不当」であると韓国人が思うなら、韓国が竹島を話し合いをしないで占有するのも同じです。 つまり日本が軍事力を使わないとみると、力で押さえつけるというのは日本を非難していることを自分が行うということでもありますから、余り関心できません。国際的にはこのようなことが多いのですが、日本と韓国の間では過去の歴史を反省して、このようなことがないように韓国政府と韓国人を説得するのが良いと思います。 その一つの例として韓国がどんな言動をとろうとも、日本は「お互いが話し合って竹島問題を解決する」ということで行くべきと思います。その意味では国際裁判所に提訴するのではなく、まずは両国で話をするべきです。(平成24年9月22日) なるほど はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.09.23 06:59:36
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