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テーマ:家庭菜園(59017)
カテゴリ:ニンニク
2年前 秋のニンニクの植え付けだあ 先週にニンニクの種の袋を購入 さあ 今週には 植え付けをしよう 第一弾 宮崎産 ニンニク 09月11日 0.5kgの宮崎産のニンニクを植え付けした 75個 g-22に植え付け 09月25日 発芽はまだ 10月02日 ニンニクもすこし発芽してきている 10月10日 全部が発芽した 10月16日 雑草とりをしておいた 10月23日 順調に生育中 ok 11月13日 かなり大きくなっている 11月27日 その後もokだなあ 雑草とり少ししておく 12月23日 霜にうたれて やや弱っているが がんばっている 第二弾 中国産 芽ニンニク 09月18日 0.5kgの芽ニンニク 中国産のも購入 m-20の畑に植え付けた 10月02日 芽ニンニクは全部が発芽してきている 10月10日 こちらは より大きくなっている 元気だなあ 10月16日 雑草とりをしておいた 10月23日 順調に生育中 ok 11月13日 かなり大きくなっている 11月27日 その後もokだなあ 雑草とり少ししておく 12月23日 霜にうたれて やや弱っているが がんばっている どちらも 今は 同じくらいのサイズになっている 霜にうたれて 弱りながらも 頑張っている 01月04日 芽ニンニク やはり寒そう 見ているのも寒いなあ やっぱり冬だなあ 02月12日 ニンニクは葉が黄色のなっているのもある まあ なんとかなっている 03月11日 ニンニクが青々してきている 春だなあ 03月18日 ニンニクに追肥しておいた どんどん 大きくなーーれ 雨も良く降る 03月18日 芽ニンニクも元気だ 追肥もしておいた 04月15日 雑草とりをしておく ニンニク 芽ニンニク ともに元気は良い 04月30日 芽ニンニク たくさん出ているのて収穫しておいた g-22の分 20本くらい 05月03日 芽ニンニク たくさん出ているのて収穫しておいた g-22の分 20本くらい 05月12日 中国産のニンニクにもやっと芽ニンニクができた m-20 40本 収穫 05月13日 追加で また 芽ニンニクを20本くらい 収穫しておいた 05月20日 追加の追加でまたメニンニク20本の収穫をした 06月02日 ニンニクもそろそろ収穫できるようになってきている m-20の中国産のニンニク メニンニク60本収穫 g-22の宮崎産のニンニク こらちも60本の芽ニンニクを収穫した どちらも 良く育っている ニンニクの本体の収穫できる もう 良く育っている 06月03日 m-20の芽ニンニクの半分を収穫した 数は45個あり 残りは来週に 06月10日 残りの芽ニンニクを収穫した 数は46個あり 合計で91個 宮崎産の ニンニクがまだある 06月17日 宮崎産のも収穫した 58個だった これは まあまあの出来具合だった これにて ニンニクは 結果は良しということで終了した 昨年 hcでニンニクが売り出されていた 早速 ニンニク 購入した 08月13日 ニンニク 宮崎産 500gを購入した 08月20日 芽ニンニクもかっておいた これは 中国産 植え付けは9月くらい そろそろ畑の準備が必要だ 10月08日 ニンニクも続いて植え付け m-08の畑 10月20日 ニンニクの発芽の確認 全部が発芽してきている 11月10日 全部 元気だなあ 雑草とりもしないと 11月25日 雑草とり しておいた 12月29日 その後もニンニクさんは元気だなあ 芽ニンニクの発芽は まだだな やや 遅い 10月07日 芽ニンニクいつもより1か月遅れて ゆっくりと植え付けした m-08の畑 10月20日 芽にんにくは 発芽したのは1本のみ 遅い 10月27日 芽ニンニクも全部が発芽してきている 11月10日 全部 元気だなあ 雑草とりもしないと 11月25日 雑草とり しておいた 12月29日 その後もニンニクさんは元気だなあ ニンニク 芽ニンニク ともに 元気に育っている 雑草 小さいが 根っこはしっかりと伸びていた 今年 01月05日 芽ニンニク m-08の畑の雑草とりした 01月06日 ニンニク m-08の畑の畝の雑草も除いておいた 02月03日 その後も ニンニクさん 元気 まあまあ 02月10日 芽ニンニク こちらも元気 雑草とりをしておく 02月11日 ニンニクの畑の雑草もすこし とっておく ニンニク 芽ニンニク どちらも 元気だなあ 東日本大震災 3月11日発生 2月15日は 既に706日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から18年 武田さんのブログ ---------------------------------------------- 日本だけ(15) お城 日本のお城は実に奇妙である。なにしろ城がとても小さく、どんなに大きな名古屋城、熊本城なども1000人も住めないぐらいの大きさだ。それに対して、外国の城というとまったく規模が違う。中国では北京城、南京城、トルコのイスタンブールの城、フランスのパリの城壁・・・どれもこれも威風堂々として、城の中に数万人から数10万人の市民を全部、収容できる。 なんで日本の城は世界でももっとも小さいのだろうか? 外国の城には市民が住んでいたが、日本のお城には不思議なことに殿様一家しか住んでいなかった?! 簡単に言うと、外国の戦争は「領土獲得より、奴隷獲得」であり、日本の戦争は「領土獲得だけ」だったからだ。 ・・・・・・・・・ ギリシャの昔から「人間は労働をすべきでは無い。労働は下賤だ」と多くの国は考えていた。今でも日本以外の国では「人生の設計は?」と質問すると「45才までに財産を築いて、遊んで暮らす」と答える。ところが日本だけは「60才で定年を迎えて、お金があっても仕事をしたい」と言う。 この整理には直ちに異論があるだろう。主として中世ヨーロッパのプロテスタント思想と、近代共産主義の勤労の義務があるからだ。 労働は人生、もしくは地中海周辺では原罪との関係が難しい。それは「労働」と聞いて人が何を思い浮かべるかにもよる。たとえば、湿っぽく暗い船底に閉じ込められ、鞭で打たれながら船をこぐといった労働を思い浮かべると「労働は神様から罰を下されているもの」と感じるけれど、長閑な春の日に田んぼの畦でおにぎりを頬張り、お茶を飲み、そしてタバコで一服する光景が浮かぶ人は「労働は人生そのもの」と思うだろう。 日本のような単一民族、それに温帯の島国で異民族の外敵もほとんど来ないというところでは、「温暖な気候のもとでみんなで働こう」と言うことになるから、「人間は原罪があるから、労働という罰を受けなければならない」などという難しいことを考えなくても良い。 日本の知識人の中には「知識」だけで教育を受け、知識を元に「考える」というプロセスをおろそかにした人たちがいて、「労働とは***である。お前らはヨーロッパの歴史を知らないのか!」と居丈高にいうので、ついついヨーロッパ流の考えになってしまうが、実は、一つ一つのことにはその国の風土や民族性に深く関係しているのである。 労働は苦痛では無いという考えだった日本人は、戦争で領土を広げる必要があっても奴隷を獲得することは目的ではなかった。そこで、戦争というのは武士だけの問題で、庶民は戦争の間は山の方に逃げておけば良かった。庶民にとってどちらの殿様が勝っても、生活にはほとんど影響が無かったからである。 殿様に取っては織田家か、豊臣家か、徳川家かは生死を左右することだったが、庶民は殿様の御紋がすこし変化するだけのことだからだ。戦争で守らなければならないのは殿様一家と重臣だけであり、かくして日本の城は世界でもまれに見るほど小さいものになったのである・・ (平成25年2月9日) ふむふむ これも 日本が独特のもの 日本だけ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.02.15 01:57:40
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