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テーマ:家庭菜園(58888)
カテゴリ:菊菜
2年前 菊菜 春はなし 秋からの再開としよう 秋の菊菜の栽培の開始 第一弾 広葉のタイブ 09月23日 種まきを開始 とりあえず 家の庭でpotに種まきをした 10月02日 発芽している 10月10日 畑に移動 g-22に 10月23日 苗はおおきくなりつつある順調なり 11月06日 順調に生育中 11月13日 かなり順調だなあーー 11月27日 収穫できるくらいになっている 第一弾 中葉のタイブ 09月23日 種まきを開始 とりあえず 家の庭でpotに種まきをした 10月02日 発芽している 10月10日 畑に移動 g-22に 10月23日 苗はおおきくなりつつある順調なり 11月06日 順調に生育中 11月13日 かなり かなり 順調だなあーー 11月27日 収穫できるくらいになっている 12月11日 もうokだ 収穫できる 菊菜 それぞれ 16potづつ 植えつけている 11月27日 まずは 勝手に生えている菊菜から 収穫した まだまだある 12月25日 広葉の菊菜 収穫した 菊菜はたくさんある てんぷらにしたら 美味い 鍋にいれもok 昨年 01月09日 g-10の菊菜 また収穫しておいた たくさんある まだまだある と 思っていたが 花が咲く頃になってきた 05月12日 菊菜が花盛り まあ 綺麗なものだなあ 昨年の種まき hcで種をかってきた 今回は広葉のタイプ 09月09日 g-22の畑で種蒔きした 直播きでいこう 09月16日 すこし発芽してきている 次は 第二弾の種まき 09月17日 庭で種まきした pot-16に種まき 09月23日 発芽したので 畑に移動 g-22に植え付けた 10月21日 かなり大きくなっている 収穫できそう 11月10日 初の収穫をした かなり大きくなっている 次に第三弾の種まき 09月23日 庭で種まきをしておいた 09月30日 畑に移動 m-06に植え付けておいた 10月21日 こちらも そこそこ大きくなってきている 次に第四弾 09月30日 またまた庭で種まきをしておいた 10月07日 m-20の畑に移動 10月21日 ちいさいが まあまあ育ちつつある 菊菜 あちこち 4つ植え付けている いっぱい いっぱい ある 収穫 11月10日 一回目の収穫をした 11月18日 二回目の収穫をした 11月25日 あらあら 収穫するの 忘れていた 12月02日 3回目の収穫をした 12月08日 4回目の収穫をした 今年 どんどん 収穫しよう 01月06日 5回目の収穫をしておいた しかし さすがに1月は成長していないなあ 01月13日 菊菜さん 葉は伸びず 冬で寒すぎだなあ 収穫できず 葉は 今は 収穫する量がない 03月31日 春になって 葉が伸びてきた 収穫を再開した 6回目の収穫 04月08日 菊菜 もう一回 収穫できた 7回目 04月14日 菊菜 まだ いけた 8回目の収穫 04月21日 菊菜 まだ いけた 9回目の収穫 04月27日 菊菜 まだ いけた 10回目の収穫 04月28日 菊菜 まだ いけそう 11回目の収穫 もう すこし 収穫できそう 東日本大震災 3月11日発生 4月30日は 既に780日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から18年 武田さんのブログ --------------------------------------------- 対立の構図(3) ヘルムホルツ 「対立の構図」を整理し始めて、バッシング覚悟で「理科系」、「文科系」ということをまず書いてみました。もちろん、理科系・文科系というようなおおざっぱな区分で物事を見るのは不適切なのですが、整理というのは、少し問題のある表現で切り込む方が鋭く本質に迫ることができる場合もあり、その意味もありました。 次に進もうと思っておりましたところ、読者の方から非常に有意義なご指摘をいただき、「ヘルムホルツ」という題名で一つ書きたくなりました。 19世紀の後半、熱力学の大家にヘルムホルツというドイツの学者がいました。なにしろ「ヘルムホルツの自由エネルギー」という名前がついているぐらいの立派な学者だったのですが、彼が大学を退官するときに次のようなことを述懐しています。 「ギリシャの哲学なら2000年前の書物も残っているかも知れないけれど、科学(自然科学)は30年も経ったらどんな立派な本も捨てられる。だから私は名著を書けない」 確かに彼は熱が専門でしたから、晩年は懸命になって「太陽はなぜ光っているのか」という問題に取り組んだのですが、なにしろまだキュリー夫人が核分裂を発見する前でしたから、太陽の熱を解明することができませんでした。 また、絶対温度の単位にその名前が残っているケルビンは、ライト兄弟が初飛行する10年ほど前、「空気より重たいものは空を飛ぶことができない」と書きました。これもまた人間の知恵の限界を示しています。 そんなことを言えば、後のコンピュータの世界最大の会社になるIBMの創始者は、ノイマンが発明したコンピュータを知って事業にのりだしますが、その時に「この機械は全世界で5台ぐらいは売れるだろう」と言っています。 このような科学の難しさと人間の頭の限界をイヤと言うほど味わっている自然科学では、「自分が正しいと考えている事は正しいはずはない」という確信があります。それが「相手を罵倒する対立」にはならない一つの理由ではないかと思うのです。 それは同時に「人間の知恵に対する畏敬の念」でもあります。人間の脳は大したことはありませんが、その反面、長い時間の中では今、思いつかないようなものや論理を生み出していく力があります。「知恵を信じる」、「教育を信じる」、「自分は小さい」という「発展に対する素直な尊敬の心」が科学にはあるような気がします。 対立のない静かな研究環境の中にあった私が、人を罵倒する学問を身近にしったのはリサイクルと資源の関係について学会で発表したときであることは何度か書いたことがあるのですが、それから以後、対立の構図の中に投げ込まれ、いまでもうろうろしているように思います。 ただ、対立の構図を書き始めて、対立の原因は「事実認識が違う」、「論理展開が違う」と言うほかに、「錯覚・誤解」、「ウソ・曲解」、そして「思想・利害」があることを強く感じます。(平成24年8月25日)武田邦彦 ふむふむ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.04.30 01:59:03
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