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庭の甘がき 昨年にかった苗だけど 今年に発芽すれば 生きている だめなら また 枯れてしまっていることになる 発芽するのは 予測では 4月18日 つまり 隣の渋柿が そうだった で あと 1か月とすこし 芽がでるまで カウント 開始だあーーー 暇なので 毎週 カウントしていこう 3月03日 あと1月と 15日だ 3月31日 まだまだ あと18日 4月06日 芽が出てきている 予想は18日なので 12日早くなった 今年は2週間 春が早くなったということで ちゃんちゃん 甘がき 生きていた が が が そのご 動きなし 04月13日 そのまま 04月20日 そのまま 04月27日 そのまま 05月04日 そのまま まさか 枯れたかな 05月11日 そのまま 05月18日 おお 芽が大きくなっていた やっぱり 生きていた めでたし めでたし 葉は出てきている 05月26日 無事 虫がつかないよう みておこう 06月03日 枝が伸びてきている やっと 大きくなりだした 06月20日 枝がのびて 苗の大きさも まあまあに 07月21日 無事なり 虫もいない 07月31日 5-6-7月と 無事に育っている 甘がき 実がつくには 6年くらい かかるかな ???? 東日本大震災 3月11日発生 8月02日は 既に874日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から18年 武田さんのブログ --------------------------------------------- 【普通の歴史】1-4 江戸から明治へ(4)心の傷の癒やし方 「kokoroiyashirekishi004tdyno.298-(12:36).mp3」をダウンロード 日本は建国以来、約2000年間、天皇陛下が殺されたことはないが、日本以外の国では天子や皇帝という人たちは、200年ぐらいで殺害される。中国が清の時代から蒋介石の中華民国になるとき、清の歴代の天子(日本の天皇陛下)の墓が爆破され中の骨が飛び散ったとされている。 Photo また100年ほど前のロシア革命の時には、300年続いたロマノフ家が倒れたが、その時には皇帝やお后ばかりではなく、ロマノフ家の全員が殺害された。この写真は殺害されたロマノフ家の王女などが遊んでいる様子だが、「天皇陛下」のような人に対する感覚がまったく異なるように感じられる。 他の国でも同じだけれど、日本も「先祖を敬う」という気持ちがある。それに加えて天皇家という存在は、日本列島、瑞穂の国、四季折々、稲穂・・・など「日本とはなに?」という私たちの概念の中にある。だから、歴代の天皇のお墓に爆弾を仕掛けて骨もバラバラに飛ばしてしまうとか、天皇陛下の一家を皆殺しにするなどということはとても精神的に耐えられない。 でもそれは世界では常識でもあるのだ。つまり、日本人の「常識」で世界の国がすることを「推定」しても「正しい歴史認識」に達することはできない。世界の歴史は世界の人の常識からも成り立っているから、まずは世界の人たちはどのような考えで、何をしてきたのかがわからないと日本の歴史の評価も、他国の非難も理解できないということだ。 ところでヨーロッパ人はなぜ日本人が理解できないほど残酷なこと、非道なこと、理屈に合わないこと、人道に悖ることをするのだろうか? 考えて見れば、自分が欲しいからと言って地球の反対側まで軍艦を派遣し、その土地の人を皆殺しにしなくてもよいように思う。ちょっと考え方を変えれば、「そこにも人がいるのだ」と思って自重すれば住む。 たとえばアメリカ人(当時はイギリスから渡ってきた直後なので、イギリス人と言った方がよいかも知れないが)はイギリスから逃れてきて、ワシントン近くにとりあえず13州で独立したまではよかったかも知れないけれど、その後、インディアンに難癖を付けては戦争をしかけ、皆殺しにしながらカリフォルニアまで領土にしたのはいくら正当化しようと思っても無理だ。 「自分たちはイギリスから逃れてきたのだから、少しの土地に住むことができるだけで良い。他の所はインディアンという別の人が住んでいるのだから、そこを欲しがるのは良くない」ぐらいの判断力はあるはずだ。ところが、アメリカ人の衝動的な心は理性を遙かに上回り「本当はいけないこと」を知っているのに、やむにやまれない衝動でインディアンを殺しながら西に向かう。 しかし、それは単なる衝動であって「人格」や「哀れみ」という感情を持った人間のするべきことではないので、その歪みを修正することが必要になる。それに利用されたのが「宗教」であり、「学問」だった。 アメリカ人は「神が西に行けと言っておられる」とした。英語でdestiny(デスティニー)、つまり神意、運命のもとで自分たちは行動をしているのであって、インディアンを殺すのも、太平洋の遙か西まで行ってフィリピンを占領したり、日本と戦うのも「神の宿命」として自らの心を納得させた。 イギリスやアメリカが世界に進出する前には、スペイン・ポルトガルだったが、その時には「キリスト教の布教」、つまりキリスト教が最高の宗教だから、キリスト教ではない地域はまだ「救われていない人々」がいるからその人達を救うのだ、という理屈で、皆殺しにすることにたいする心の安らぎを得ていた。 もう一つは学術的な納得性である。「神の宿命」ということになれば他人の土地を占領して残虐なことをしても、心は何とかなるが、理性は納得しない。そこで、学問的に「民主主義の普及」と「個別の事象の詭弁術」を使用してきた。 スペインやポルトガルが世界に進出した頃には「キリスト教の布教」の一本だけでなんとか正当性を保つことができたが、さすが19世紀にもなるとそれだけではダメで、イギリスは支配を広げるときの根拠を作るのに大変だった。 特にインドはもともとインダス文明があり、当時、それほどハッキリは知られていなかったが「歴史のある古い大国」であることは間違いなかった。そこでイギリス人はインドの統治に関して「正当性」を作り出そうと民俗学者や歴史学者を動員して「イギリス人の方がインド人より格段に優れている」ことを実証しようとした。 ところがその研究を通じて逆にイギリス人もインド人も約4000年前にはカスピ海の北に住んでいた遊牧民(アーリア人)であったことがわかって、研究自体は頓挫した。ヨーロッパの学問が常に「征服のための道具」として活用されたので、ヨーロッパの学問の発祥の地とされるギリシャでは市民(貴族)は労働はせずに芸術、学問(哲学、科学など)、文学などを発展させたので、「人間であることに価値を認める」というより「優れた人間が価値がある」という基本思想で貫かれていた。残りの90%程度は奴隷で生産を人あっていた。だから日本人の思想(労働は大切なもの)という考え方は最初からなかった。 またインドや中東に進出したアーリア人とは少し違うが、基本的にはヨーロッパ、ロシアなどは気候が悪く、「遊んでいて人生を送ることができる」という南洋のような生活は無理で、常に刻苦勉励し、周囲に気を配っていなければならなかったことも、その中心的思想を作るのに大きな影響を与えた。 (平成25年7月25日)武田邦彦 ふむふむ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.08.02 00:48:15
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