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カテゴリ:ニラとみつば
昨年度 01月09日 m08のニラは枯れ草になっていた ニラが枯れてしまった 在庫はなしになった 次は3月になると 新芽が出るだろう 02月26日 ニラ 新芽が出てきている 春だなあ そろそろ青くなってきてくれそう 03月04日 ニラ 新芽が増えてきている 早く青くなれーーーーー 03月18日 ニラ かなり前面に芽が出てきている ニラ 収穫は4月から 開始だなあ 04月08日 今年の収穫は1回目となる 初の収穫だけど 昨年より遅い 04月22日 2回目の収穫した 05月03日 3回目の収穫をした 05月13日 4回目の収穫をした 05月20日 5回目の収穫をした 06月10日 6回目の収穫をした 06月30日 7回目の収穫をした 07月08日 8回目の収穫をした 07月15日 9回目の収穫をした 07月22日 10回目の収穫をした 08月05日 11回目の収穫をした 08月12日 12回目の収穫をした 08月19日 13回目の収穫をした 08月26日 14回目の収穫をした 09月09日 15回目の収穫をした 09月23日 16回目の収穫をした 09月30日 17回目の収穫をした 10月06日 18回目の収穫をした 10月13日 19回目の収穫をした 10月21日 20回目の収穫をした 10月28日 21回目の収穫をした 11月03日 22回目の収穫をした 11月10日 23回目の収穫をした 11月18日 24回目の収穫をした 11月25日 25回目の収穫をした 12月02日 26回目の収穫をした これで おしまいになった 04-2回収穫した 05-3回 06-2回 07-3回 08-4回 09-3回 10-3回 11-4回 12-2回 合計26回 26回にて 終了 よく 食べたなあ 今年 今年も韮さん 元気 もう 大きくなりだしたので 初の収穫をした 03月17日 庭の韮が元気 まずは 初の収穫をした 03月31日 ニラの2回目の収穫をした 04月08日 ニラ 3回目の収穫をした 04月21日 ニラ 4回目の収穫をした 04月28日 ニラ 5回目の収穫をした 05月06日 ニラ 6回目の収穫をした 05月12日 ニラ 7回目の収穫をした 05月26日 ニラ 8回目の収穫をした 06月09日 ニラ 9回目の収穫をした 06月30日 ニラ 10回目の収穫をした 07月07日 ニラ 11回目の収穫をした 07月14日 ニラ 12回目の収穫をした 07月21日 ニラ 13回目の収穫をした 07月28日 にら 14回目の収穫をした 08月04日 にら 15回目の収穫をした 08月10日 にら 16回目の収穫をした 08月18日 にら 17回目の収穫をした 庭のにらは まあまあ水もたっぶりで 元気である m-08のは株分けをしている こちらは 水やりたっぶりで元気 g-22のは 水が不足して 猛暑で 元気なし 今年も ニラさん 元気だなあ 3月に 2回の収穫をした 4月も 3回の収穫をした 5月も 3回の収穫をした 6月も 2回の収穫をした 7月も 4回の収穫をした どんどん 収穫をしよう 12月まで ずーーーと 収穫できるので 超 役立つ野菜なり 東日本大震災 3月11日発生 8月24日は 既に896日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から18年 武田さんのブログ --------------------------------------------- 【原発の安全】01・・・日本での誕生 「genshoryokusi01tdyno.354-(11:10).mp3」をダウンロード 福島原発事故以来、奇妙な事が続いている。これまであれほど原発事故や被曝に対して厳しい報道態度をとっていた朝日新聞などの大マスコミが3号機の爆発映像を報じなかったり、「被曝など大したことはない」という論評を掲げるなどと豹変した。 大きなことが起こると、これまでの主義主張を捨てて、反対の立場をとることを心理学では「リスキーシフト」というが、日本にはそれが多いのは実に残念でもある。 これは学校でも同じで、小児白血病を防止するために、従来から行っていた1年1回の胸のレントゲンでの集団検診を止めたのに、東電が原発事故を起こすと、文科省の大臣が1年20ミリまで認めた。1年20ミリというと1年に胸のレントゲン400回だから、安全か危険かという前に偉い人の言うことが180度変わることも経験した。 これで本当に子どもの健康を心配している母親が納得するはずもない。それは1年1ミリか20ミリかというより、言っていることが変われば信じるようにいっても人間はそうはいかない。 さらに最近では北茨城市では市が7月12日に1時間に7マイクロシーベルトという高い放射線量を観測していたにもかかわらず、その発表が10日以上遅れるという不祥事が起きたが、これもマスコミはほとんど報道しない。 また、その後、大きな問題となったが、原発からの地下水が大量に海に流れていたことも隠され、選挙の終わった翌日に公表されるというひどさだ。選挙と原発のデータがリンクすること自体、きわめて不透明で誠実さに欠ける。 ちょっと前まで中国や北朝鮮の報道統制や、食品の安全性について厳しく指弾していた日本が、自分の事となるとなりふり構わず報道を統制し、汚染された食品を子どもに食べさせようとしている。 このようなことをどう理解すれば良いだろうか? そして現在のことを正しく認識し、未来に何が起こるかを推定するにはどうしたら良いだろうか? その一つの方法が「歴史を知る」ということだ。 そこで、かなりの回数になるかも知れないが、このシリーズで、日本の原子力の歴史とそこから何が起こったか、何が起ころうとしているのかを書きたいと思う。 まず最初は日本の原子力の誕生と成り立ちである。 日本の原子力は広島・長崎に原爆が投下されてわずか10年ほどで始まった。原爆が投下されたときにはアメリカとソ連は「連合軍」だったが、10年経ったときには厳しい東西対立が起こり、自由主義諸国と共産主義が鋭い対立をしていた。 その中で、サンフランシスコ平和条約で再び独立を取り戻した日本は、アメリカにとって「大切な同盟国、共産主義の進出を防ぐ大事な砦」になっていた。当時は核兵器ができたばかりだったから、「使える兵器」であり、日本が核兵器を持つかどうかは別にして、核(原子力)を使える状態にしておく必要があった。 かくして、日本の親米派(当時の自由党、民主党、左派および右派の社会党を問わず)と産業界が中心となって日本の「核化」が進められた。 日本が原子力を始めるにあたって、今の自民党と、かつての社会党が一緒に推進したことも頭に入れておく必要がある。この頃の自由党の結党は「自主憲法の制定、日本軍」など現在の感覚では右翼的なものだった。 共産主義は 自民党と社会党の共通の敵だったからだ。そして、中東問題も、石油の枯渇も、まして環境問題や地球温暖化などまったく知らなかったときだった。 だから「エネルギーを多様化する」などの理由で原子力をはじめたわけではない。現在、「原子力がなければエネルギーはどうなるのだ」などの意見があるが、これは歴史的にはあまり整合性のない話しなのである。 歴史を振り返ることは、今の私たちが時として狭い視野を持っているとすると、それを広げるのにとても力になる。 (平成25年8月14日)武田邦彦 ふむふむ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.08.24 01:20:01
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