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カテゴリ:チンゲンサイ
一昨年 チンゲンサイ 09月09日 種まきを開始 g-22の畑で 直播きをしておく 09月15日 すこしだけ発芽してきている 第二弾の種まき 09月10日 庭で種まきしておいた 09月13日 発芽した 日曜には畑に移動しよう 09月16日 畑のm-7に移動して植えつけた 10月21日 まあまあ成長してきている 第三弾の種まき 09月16日 庭で種まきをしておいた 09月22日 発芽してきている 09月23日 畑に移動 G-22に植え付けしておく 10月21日 これもすこし成長してきている 第四弾の種まき 09月23日 庭で種まきをしておいた 09月30日 発芽した 畑のm-06に植えておいた 10月21日 まあまあ 第五弾の種まきする 09月30日 庭でまた 種まきをしておく 10月07日 畑に移動 m-20に植え付けておく 10月21日 ちいさいが それなりに成長中 これで 1-2-3-4-5と種まきした あとは 育つのを待つのみ そろそろ 収穫できそうなのも 出てきている 11月11日 まずは 1個の収穫をした もっと 大きくなるのをまとう 11月25日 2回目の収穫 4個だけ 11月は合計で5個の収穫 12月02日 3回目の収穫 3個を収穫した 12月09日 4回目の収穫 4個を収穫した 12月16日 5回目の収穫 4個の収穫をした 12月23日 6回目の収穫 4個の収穫をした 12月29日 7回目の収穫 5個の収穫をした 12月は合計で20個の収穫 すこしづつ 収穫している 今年 01月06日 8回目の収穫 5個 いつも通りの収穫をした 01月13日 9回目の収穫 7個 いつもとおり 01月20日 10回目の収穫 6個 まだまだ 01月27日 11回目の収穫 6個 1月は合計24個 02月03日 12回目の収穫 6個 02月10日 13回目の収穫 6個 02月17日 14回目の収穫 6個 02月24日 15回目の収穫 6個 2月は合計で24個 03月03日 16回目の収穫 6個 そろそろ おしまいに 花蕾がついてきている 昨年 種まきしよう 09月08日 第一弾の種蒔きをする 庭で種まき 16pots 09月14日 発芽してきている 09月15日 畑に移動する m-07に植え付けをしておく 10月10日 その後 青梗菜 消えてしまった感じ 11月02日 すこし 青梗菜 のこっているのがある 数はすくない 11月04日 数を数えてみると 10本くらいしか 残っていない 16potsの種まきして 植え付けたが どうも うまく育っていない 残っているのは 10本くらい まあ 大きくなってから 収穫しよう 11月17日 かなり大きくなってきている これで 収穫できそうだ 11月24日 その後も 様子見 もう すこし 大きくなるのをまっている 12月08日 そろそろ 収穫してもよさそうになってきている 12月14日 初の青梗菜の収穫 1個 12月22日 2個目の収穫をした 12月29日 3回目の収穫をした 今年 01月05日 4回目の収穫 また 1個 01月12日 5回目の収穫 こんかいも1個 東日本大震災 3月11日発生 1月19日 既に2年と10か月と08日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から20年 どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている 武田さんのブログ --------------------------------------------- 普通の歴史(質問編) 私のおじいちゃんはなぜ英霊なのでしょうか? 「20140115917917.mp3」をダウンロード ある講演会でお聞きになっている方から「私のおじいちゃんはビルマで戦死したのですが、なぜ、私のおじいちゃんは英霊なのですか?」(ビルマは現在はミャンマーと呼ばれる)と質問された。聴衆の方もおられ、若い人でやっと質問された感じだったので、それ以上、お聞きすることはできなかったが、「日本が侵略戦争をしてビルマまで行ったのだから、英霊と呼ばれるのも」というニュアンスだった。 私の答えは次のようなものだった。 「歴史的なことは、現在の価値観で考えるのではなく、その時の価値観で見なければいけません。16世紀から20世紀の前半まで、白人が世界のほとんどの国を植民地にしていました。有色人種の完全な独立国は日本しかありませんでした。 植民地にされたアジア人の運命を二つ、紹介します。一つはイギリスの植民地になったインドですが、優秀な若者は両手首を切り落とされました。もう一つはフランスの植民地のインドシナ(ベトナムなど)ですが、ここでは反抗的な若者が街頭で逮捕され、そのまま死ぬまでコンクリートの床の独房に入れられました。 私たち日本人だけがそんな目に遭わなかったのは、私たちのおじいさんが「戦ってくれた」からです。今では戦争は悪いことになっていますが、おじいさんの時代は白人が侵略していましたので、女性や子供を守るために戦わざるを得なかったのです。 ビルマまで日本軍が進軍した大東亜戦争でも、日本が戦ったのはアジア人ではなく、白人とアジア人で唯一白人側についた中国でした。そして「どこまで進軍するか」は「良い悪い」の問題ではなく、「戦いに勝つか負けるか」の問題ですから、これは侵略とかそういうものではありません。 おじいさんは私たちのためにビルマまで進軍し、おそらく灼熱の戦地でなくなったのですから、どう考えても日本の英霊です。」 (講演では言いませんでしたが、当時はビルマという国はイギリス領でしたから、日本が「ビルマに進軍した」というより「敵国イギリスと戦った」というのが正しいと思います。なにしろアジア諸国は占領されていたので表現が難しいのです) 日中戦争から大東亜戦争に至る歴史は、大きく歪曲されて伝えられている。白人支配を正当化するために作られた話に日本の知識人や朝日新聞がごまかされた結果だが、そんな「事実と違う」ことをもとにしていたら、いつまでも日本の中の争いがなくならない。 対立をなくしてお互いに意見を戦わせ、相手を尊重するためには、事実を正しく認識することだ。繰り返すと、 1)当時、世界は白人が有色人種を支配していた、 2)有色人種の人生は悲惨だった、 3)日本だけが戦争をして独立を守った、 4)戦争中にどこまで攻めるかは、戦略であって、侵略ではない、 5)日本の戦争に間違いはなかった。あったのは白人の方だった。 ただ、日本人の中(特に知識人)は「白人は日本人より優れた民族だから、白人がやることは許されるが、日本人が同じことをしてはいけない」という思想が根強い。これはコンプレックスだからなかなか理屈では退治できない。 また、戦後教育を受けている人の中にはこの知識人のコンプレックスをそのまま引き継いている(そのほうが自分に有利)人が多く、それも誤解のもとになっている。 ともかく、その若者は複雑な顔をしていたが、本当に理解してくれただろうか? (平成26年1月14日)武田邦彦 ふむふむ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.01.19 01:41:22
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